11月15日・年間第33主日 マタイ25章14~30節 タラントンは使うために預けられた

今日の福音のタラントンのたとえも、先週に続いて終末についてのたとえ話です。世の終わりのイメージが明確に語られているわけではありませんが、「主人が帰ってくる」のはふたたび来られるイエスのことを表しているのは間違いないでしょう。
しかし、「目覚めて用意していなさい」というほかのたとえ話のテーマが、ここでは語られていないように思われます。しかし、イエスとの出会いに向けて、生き方が問われているという意味では共通する内容であるといえるでしょう。とくに、このたとえは現在のわたしたちに、どう生きるかをより分かりやすく伝えていると思います。

登場するしもべのうち、主人から預かった財産をいちばん大切にしたのは誰でしょうか。もうけた人のようにも思えますが、彼らは商売をしたわけですから、損をしたかもしれません。商売にはリスクがつきものです。ひょっとすると、財産をなくすだけでなく、借金までこしらえて主人に迷惑をかけたかもしれないのです。そう考えると、いちばん大切にしたのは土に埋めた人だといえるのではないでしょうか。
というのは、主人から預かった財産を損なうことなく、そのまま返すことができたからです。主人は「銀行に預ければよかった」といいますが、当時の銀行も信用度が低いので、やはり失われる可能性がありました。1タラントンは非常に大きな金額ですから、家に隠しておいても安心できず、土に埋めるのが最も安全な保管と考えられていました。
しかし、主人の思いはどうだったでしょうか。たとえば、友だちや家族に喜んでもらえるように、一生懸命考えてプレゼントを贈ったとします。それが服だったとしたら、着てもらえたらうれしいですよね。でも、「すごく気に入ったから、汚さないように着ないで大事にしまってあります」と言われたらどうでしょうか。贈った人は、気持ちはうれしいけれどもやはり着てもらいたかったのではないでしょうか。

神さまが、この世に生まれたわたしたちのために与えてくださったものはたくさんあります。それは、この世を生きるために使うものです。ときどき無駄遣いしてしまうかもしれません。罪によって汚してしまうかもしれません。けれども、なくしたり、汚すのをおそれて使わないでいたりすると、土に埋めておいた人と同じことになってしまいます。
五タラントン、二タラントンを預かった人は、それを使うことによって人に喜んでもらいました。商売をするには、喜んで買ってもらわなければなりません。ときにはいいものを安く売って損をすることもあるでしょう。それでも主人は喜んでくれたと思います。
前にも書きましたが、近江商人のモットーは「三方よし」だそうです。商売をして、買った人も喜び、売った人も喜び、社会もよくなるということです。神さまがわたしたちにタラントンを与えられたのは、人も喜び、自分も喜び、神も喜ぶという、「三方よし」の世界を実現するためなのです。                      (柳本神父)