1月23日 年間第3主日 ルカ1章1~4節 、4章14~21節 貧しい人に福音を告げ知らせる

今日の年間第三主日から福音朗読はルカに戻ります。これからはルカの福音の継続朗読となります。今日の福音はルカの書き出しの部分とイエスの宣教の始まりの部分です。
最初にルカがこの福音書を書くことになった経緯が記されています。本書と使徒言行録はどちらも「テオフィロ」という人に献呈されています。それで使徒言行録はルカ福音書の続きであるということです。テオフィロがどういう人かは不明ですが、「神を愛する者」という意味ですので、信者すべてに宛てているのだ、という説明もあります。

続いて、4章14節に飛んでイエスの宣教開始の出来事が朗読されます。宣教の始まりについてはマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書に記されています。マタイとマルコは「悔い改めよ、天の国(神の国)は近づいた」と言って宣教を始められるという内容でほぼ同じですが、ルカは今日の福音の箇所にあるようにイザヤの預言(主に61章1~2節)の朗読をもってそれを表しています。ということは、このイザヤの預言で述べられている内容が神の国のあり方を表しているということになります。
少し詳しく見ていきましょう。まず「貧しい人に福音を告げるために油を注がれた」と記されています。「油を注がれた」というのは特別な役割が与えられたということで、メシア=救い主は「油が注がれた者」という意味です。ですから、この言葉はイエスに「貧しい人に福音を告げ知らせる」役割が与えられたということに加え、イエスがメシア、救い主であることも示唆しているといっていいでしょう。そして、「貧しい人」は経済的に貧しいだけでなく、社会的に苦しみを受けている人、しいたげられている人も含まれています。ですから、そのあとに述べられている人々も「貧しい人」として福音を告げ知らされるのです。
「捕らわれている人」は直接的には不当に投獄されている人です。洗礼者ヨハネも後にヘロデ王を非難したために捕えられます。現代では政治的圧力によって拘束されている人、難民申請が認められず収容されている人などが該当するでしょう。広い意味では罪に縛られている人類を意味しているともいえます。
「目の見えない人」は体の不自由な人、障がい者、病人の代表です。イエスの時代、病気になるのは本人や家族の罪の報いと考えられていました。ひどいと思うかもしれませんが、現代でも「病気がちなのは行いが悪かったからだ」ということはよく言われますね。そして、そのような人々は社会から隔絶されます。新型コロナの感染者も隔離され、まわりから責められてつらい日々を過ごしている方もおられます。

そのように圧迫されている人が自由になる、それが神の国だということです。イエスの福音はまずそのような人々に告げ知らされました。社会の中で後回しにされている人が先になってみんなを招く。これがイエスの告げられた神の国なのです。   (柳本神父)