4月11日・復活徹夜祭 マタイ28章1~10節  過越―「ともにおられる神」の体験

復活徹夜祭のことばの典礼は7つの旧約聖書、パウロのローマ人への手紙、そして福音書から構成されています。旧約聖書においては天地創造から始まる救いの歴史を思い起こしますが、事情によって数を減らすことができます。しかし、出エジプト記のエジプト脱出のところは必ず読まなければなりません。それは、イスラエルの民が、神がともにいてくださることを体験した重大な出来事であり、「過越」と呼ばれてきました。
主の復活はキリスト者にとってエジプト脱出にまさる出来事です。教会は「新しい過ぎ越」として主の復活を記念してきたのです。

一年の典礼の頂点である復活徹夜祭の福音朗読であるにもかかわらず、今日の福音に復活されたイエスは出てきますが、まだ二人の女性にしか表れていません。四つの福音書ではイエスの復活と女性たち、弟子たちに現れたエピソードは異なっています。マタイの福音では、このあとガリラヤの山で弟子たちと再会する出来事が記されているのみです。しかし、どの福音書にも共通するのは、イエスの復活の瞬間を見た人はだれもなく、イエスとの「出会い」によってイエスの復活が知らされるということです。

今日の福音においてはまず大きな地震が起こり、天使によって墓の石が転がされます。天使は、マグダラのマリアともう一人のマリアに墓に遺体がないことを確認させ、イエスの復活を告げます。そして弟子たちに告げるために帰る途中にイエスと出会うのです。マグダラのマリアはイエスの処刑を遠くから見守っていたと記されていますが、もう一人のマリアもその場にいたことでしょう。イエスの弟子たちは主を見捨てて逃げてしまいましたが、女性たちはイエスの最期のときにともにいました。イエスが復活して最初に女性たちに現れたのはそのためかもしれません。それで女性たちから弟子たちにイエスの復活が伝えることになります。
このあと、16節以下では女性たちの伝言に従って、11人の弟子たちはガリラヤの山に登り、イエスと出会います。ここでイエスは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」と語られ、マタイの福音書は結ばれます。

イエスの最期にともにいた女性たちから弟子たちに復活が伝えられ、イエスがともにいる方であることが示されました。復活は、旧約の過越のように、「ともにおられる神」を体験する出来事です。イエスが女性たち、弟子たちに徐々に現れ、昇天後もパウロに現れた出来事は今も続いています。
イエスは日々わたしたちの心に現れ、ともにいてくださいます。人類の直面する苦しみの中での復活祭ですが、このようなときこそ、ともにいてくださるイエスを通しひとりひとりが結ばれていることに心を留め、希望のうちに歩んでいきましょう。  (柳本神父)