4月25日 復活節第四主日 ヨハネ10章11~18節  羊飼いは羊を恋人のように愛する

残念ながら奈良ブロックでも公開ミサを中止せざるを得ない状況になりました。またみんなで集まることができるよう、感染の終息をお祈りください。家で福音を黙想される際に、このプリントも活用いただければ幸いです。
今日の福音は、復活後の出来事から離れて、ヨハネの福音から羊飼いのたとえです。復活と関係ないかと思いきや、「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」と、ご自分の死と復活を預言される内容となっています。

羊はみんな同じような顔をしています。わたしは毎日奈良公園で鹿を見ていますが、鹿も同じような顔をしているので見分けがつきません。奈良の鹿愛護会の方々はどれくらい見分けが付くのでしょうか?
しかし、羊飼いは羊の見分けがつくというのです。羊飼いは羊を狼や泥棒から守るため、夜は羊の囲いに連れていきます。この「囲い」は羊飼いたちが何世代もかけて築いた共有の場所で、あちこちから羊飼いが自分の羊を連れて来て休ませるそうです。そのため、たくさんの羊がごっちゃになって休みます。朝になると羊飼いは自分の羊を呼んで連れ出します。そのときに、どれが自分の羊であるかがわかるのだそうです。羊も自分の飼い主の声を聞き分けてついて行くそうです。「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」とはそういうことなのです。
ではなぜ羊飼いは羊の見分けがつくのでしょうか。それは、いつも自分の羊と生活していていつも羊のことを気にしているからなんですね。たとえば幼稚園や学校の運動会のとき、自分の子どもはどこにいるかすぐに見つけ、一挙手一動足に気を配ります。恋している人がいれば、いつもその人のことを考え、その人のことをずっと気にし続けます。
イエスにとって、わたしたちひとりひとりは大切な羊であると同時に、愛しい子であり、恋人のような存在です。私たち人間はだれかのことを考えているときにほかの人のことを同時に考えることはできませんが、イエスは同時に一人一人のことを恋人のように考え、命をかけて守ってくださいます。それが全知全能ということなのです。

 新型コロナの感染の終息が見通せず、不安な日々が続いています。そんな今こそ、羊飼いであるイエスはいつもわたしたち羊のことを考え、守ってくださいます。それも愛しいわが子、あるいは恋人のように。自分を犠牲にして恋人を守る、アクション映画の主人公よりも頼りになる存在なのです。
 新型コロナの感染拡大によって、今まで教会であたりまえに行ってきたことができなくなりました。そのようなときこそ、支え合い、励まし合うことが重要です。わたしたちは同じ羊飼いを知っている羊同士です。この機会に普段は忘れている誰かのことを思い起こしましょう。そのためになにかできることを考え、実行してみませんか。  (柳本神父)