7月12日・年間第15主日 マタイ13章1~23節  種には育つ力がある

今週から7月の残り3回の福音は天の国についてのたとえ話です。今日は種の成長についてのたとえですが、二つのポイントで分かち合いたいと思います。

第一のポイントです。このみことばを聞くと、天の国の種をまかれるのにふさわしい立派な人間でなければならないと考えてしまいます。後半の説明を聞くとそのように思いがちですが、イエスは弟子を招くときに、ふさわしいかどうかではなく、すぐについてくるかどうかを条件とされました。宣教に派遣するときも、「何も持って行くな」つまり準備をせずに宣教するように言われました。弟子たちがおこなった宣教は「天の国の種まき」でした。ごく小さな種にも大きな実りを結ぶ力が詰まっています。大切なのは、努力して種を育てるということよりも、育つようにお手伝いをすることです。石を取り除き、雑草を引き抜き、日照りには水をやることで種の育つ力を支えます。天の国の種には大きく育つ力が宿っているのです。

第二のポイントは、多くの実を結ぶのは、自分の満足のためではない、ということです。
わたしが以前、長野県の伊那谷の駒ケ根教会に滞在していたとき、リンゴの木のオーナーになったことがあります。リンゴの木一本にお金を出してオーナーになり、実ったら収穫に行くというものです。最初に木を見に行って、一本選んで名札をかけるのですが、あとの世話は農園の方がしてくださいます。それで実ったときに、わたしの家族、友人、伊那谷に住んでいたシスターたちを呼んでリンゴ狩りに行きました。150個くらい実っていたでしょうか。みんなで分けて、自分の分も食べきれないのでまた人に差し上げて、多くの人に喜んでもらいました。独り占めしていたら、ほとんどを腐らせてしまう上に、喜びを分かち合うこともできなかったでしょう。

木が実を結ぶのは、人間をはじめいろいろな鳥や動物に食べてもらって種をまき散らせ、子孫を増やすためです。食べるほうも喜びますが、食べられるほうも喜びます。天の国の木も、実をたくさん結ぶことによって、みんなに喜んでもらいながら、天の国が広がっていきます。
わたしたちが天の国の種をいただいてたくさん実らせるのは、自分が喜ぶためではありません。みんなに食べてもらって喜んでもらい、さらに天の国の喜びを広げてもらうためです。「わたしは石だらけの土地でふさわしくない」「わたしはいばらのように誘惑がいっぱいで育てられない」と思うかもしれませんがご心配なく。神さまがわたしを選んで種をまいてくださったのです。わたしがすることはごく簡単です。種の力に信頼して、育つ邪魔をしないことです。そして、よく育つように光が当たるところへ行きましょう。多くの実が結んで、みんなに喜んでもらうことを楽しみにしながら。       (柳本神父)