一人ひと役 ―教会が福音を伝えていくために― 柳本神父クリスマスメッセージ

一人ひと役 ―教会が福音を伝えていくために―
奈良ブロック担当司祭 柳本昭

20年ほど前だったと思いますが、大阪管区の司祭研修会のテーマは「共同司牧(京都教区では共同宣教司牧)」でした。分かち合いのとき、私以外のメンバーのほとんどが共同司牧反対という意見でした。その理由は、共同司牧だと司祭と信徒の関係が薄くなる、自分の目指していた司祭のあり方と違う、というものでした。
かつての教会では、主任司祭は「教会のお父さん」でした。どこの教会にも神父さんがいて、ミサだけでなく病人訪問や、ときには信徒の生活の世話をしたりしていました。
たしかにそのような司祭像が必要とされていた時代もあったかもしれません。日本でカトリックが根付くまではそのような教会のあり方が求められていました。しかし、一人の司祭にできることには限界があり、移動もあります。小教区共同体の中心は信徒なのです。

教会の目的は福音宣教です。共同「宣教」司牧と名付けられているのはそのためです。小教区は典礼や行事を行うのが目的ではありません。それらは宣教のための手段です。そして信徒は社会における宣教者だといえるでしょう。家庭で、学校で、職場で、病院で、施設で、ともにいてくださるキリストを証しするように選ばれたのです。そして、それらの小さな積み重ねが神の国を実現していきます。
今回のテーマは「一人ひと役」ですが、洗礼を受けたときからすでに宣教という一役が与えられているのです。しかしまた、宣教を進めていくための力をいただく典礼と秘跡に奉仕する人も必要です。それを行う教会の維持管理のために奉仕する人も必要です。もちろん、そのために祈る人も必要です。
「一人ひと役」というと、特定の人に奉仕が集中しないように分担しましょう、というイメージが強いですが、本当の意味は、福音宣教を行うためにキリストがひとりひとりを教会に呼び集めてくださった、ということです。コロナの中で行き先を見失っている社会に福音を広めていくために、「わたしが教会でできること」を考えてみませんか。