1月19日 年間第2主日

1月19日 年間第2主日 ヨハネ2章1~11節 神の国の宴会の奉仕者

  いきなり年間第二主日が来るので第一主日はどこに?と思いますが、主の洗礼の週が第一週なので、第一主日は隠れています。イエスは洗礼を受けて宣教生活に入られたので、最初の年間はイエスの宣教を記念します。今日の福音の奇跡は宣教開始間もない頃の出来事ですが、母や弟子とともに婚宴に招かれているので、弟子は集めているもののプライベートな生活の出来事のようにも思えます。ヨハネの福音は他の三つの福音のように、イエスの宣教開始についてはっきりと記されているわけではないので、ちょうどその過渡期の出来事として記されているのではないでしょうか。

披露宴でお酒がなくなるのはえらいことです。酒飲みの親戚は「酒はないのんか!」と騒ぎ出し、花婿は地元でいつまでも「あいつは婚宴で酒を切らしおった」とはずかしめられることでしょう。その緊急事態に気づいた母マリアがイエスに願い、水がぶどう酒に変えられて事なきを得てめでたしめでたし。というところですね。
ちょっと待ったあ!たしかにそうだけど、ほかの奇跡と違って命にかかわることじゃないし、悪いのは用意していなかった花婿だし、第一花婿本人はイエスの奇跡を知らないわけだし。恥ずかしい思いをするのも自業自得ですね。母マリアもイエスが断っているのに強引に頼んでいますね。これはどういうわけでしょうか。むしろ、この出来事のなかにイエスがどのような方であるかが象徴的に示されているのではないでしょうか。
婚宴はイエスのたとえに見られるように神の国の喜びを思い起こさせます。神の国の婚宴の主役はもちろんイエスですが、今日の福音では脇役のように見えます。しかし、イエスは主役でありながらわたしたちのために奉仕してくださる方なので、イエスのあり方を示しているとも考えられます。そこで用いられるぶどう酒は、宴会に欠くことのできないものです。ぶどう酒がないことは救いがないことを表しているという説明もあります。いずれにしても、イエスは自分の命を犠牲にして、すべての人が神の国の救いにあずかれるよう奉仕してくださる方であることを表していると考えることもできるでしょう。
この奇跡はたしかに母マリアが頼んだから起こったのですが、ほかの人が頼んだらどうだったでしょうか。おそらくイエスは答えてくださったと思いますが、ここで大切なことはマリアのイエスに対する信頼です。母だからというよりも、イエスはその信仰ともいえる信頼に応えて奇跡を行われたのではないでしょうか。

  わたしたちも神の国の宴会に招かれています。宴会の主役は主イエス、けれども宴会を用意し、愛をもって奉仕してくださるのもイエスです。わたしたちはその愛と奉仕に応え、宴会に多くの人を招くようにと呼びかけられています。新しい年を迎えても世界の現状は神の国に遠いようにも思いますが、かならず主は実現してくださるという信頼をもって、母マリアのとりなしを願いながら歩んで行きましょう。

(柳本神父)

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