2月2日 主の奉献

2月2日 主の奉献 ルカ2章22~40節 この世で生きるための奉献

  主の奉献の祝日は2月2日です。これは福音にも記されているとおり、誕生から40日目に神殿に奉献される日です。今年は日曜日と重なるので主日にお祝いします。前回は2020年でした。ちょうどコロナの年でしたね。パラリンピック・オリンピックの年(うるう年)が二回あったので5年ぶりです。継続朗読ではすでにイエスの宣教が始まっているので時系列的には戻ることになります。

初めての男の子を神殿に奉献するのは「主のために聖別される」からですが、聖別とは神に属することです。ですから、奉献とは神のものである長男を、神に返しに行くという意味もあると聞いたことがあります。いけにえをその代わりに捧げて、両親は自分の子として連れ帰るということです。もう一つ、お産の際には血が流れるので、母親は清めの期間が過ぎるまで家から出てはいけないという律法の規定があります。本来は感染症などを防ぐための衛生的な理由があったのでしょう。それで四十日目に両親ともに神殿にお参りするということです。日本の「初宮もうで」も子どものすこやかな成長を願うためといわれていますが、本来は産後のけがれを清める儀式でした。洋の東西で同じような宗教文化があるのは興味深いですね。
前置きが長くなってしまいましたが、今日の福音ではシメオンとアンナが登場します。二人とも救い主の到来を願いながら神殿で祈る人でした。そしてその願いを聞き入れられ、救い主である幼子と出会うことができたのです。高齢者であった二人は、人生の終わり近くで救い主と出会ったわけですが、そのことは長かった旧約の時代が終わったことのしるしであったといえるでしょう。シメオンは幼子を祝福し、神を賛美しますが、同時にイエスの受ける苦難を預言します。母マリアも我が子の受難を耐え忍ばなければならないという苦しみが来ることを告げられます。イエスの苦しみは母の苦しみであり、そしてわたしたちの苦しみでもあるのです。もちろんそのあとに復活の栄光が約束されています。
茨城県に「イエズス・マリアの聖心会(みこころかい)」という修道会があります。紋章は二つの心臓で、ひとつにはいばらの冠が掛けられ、もうひとつには剣が刺さっています。これはイエスとマリアの心を表しているのです。

 イエスが神殿に奉献されたのは律法の規定を行うためでしたが、イエスご自身が神の子であるため、この奉献は特別な意味を持っています。まさに両親は自分たちの長男を神に返しに行ったといえるでしょう。けれどもイエスの使命はこの世で暮らし、神のみことばを告げ、そして苦しみを捧げることでした。わたしたちもイエスと同じくこの世で生きる使命を与えられています。そこには喜びや楽しみだけでなく、苦しみや悲しみもありますが、復活の希望のうちに歩んでいきましょう。

(柳本神父)

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