3月9日 四旬節第1主日 ルカ4章1~13節 イエスは人間として誘惑に打ち勝たれた
今日から四旬節が始まります。「旬」は十日間を表すので四十日間ということですが、イエスが四十日の断食をされたということに基づいています。イエスの断食が実際に四十日だったかどうかというよりも、ノアの洪水の四十日四十夜、エジプト脱出後の四十年など、イスラエルで準備や試練を表す四十という数がそこに表わされているのでしょう。
今日の福音の箇所はその四十日間の断食の際の出来事です。そこでイエスは悪魔から三つの誘惑を受けられます。イエスが神の子として勇ましく悪魔と戦って勝利されるのはかっこいいですね。しかし、悪魔がひょいと出てきてうっしっしと笑いながらイエスを誘惑するというよりも、むしろ心の中の誘惑や葛藤と考えられます。イエスは神の子ですが、罪のほかは人間として生活されました。誘惑や葛藤自体は罪ではなく、人間として生きるだれもが経験するものです。イエスが受難を否定したペトロに「サタン、引き下がれ」と言われたように、悪魔は人間を悪へと誘惑する力が擬人化されたものと考えられるでしょう。わたしの姪(お姉ちゃんのほう)は小学生のとき、「鬼は人間の心の中にいるんやで」と言って先生を驚かせたという話を思い出しました。実はわたしの頭にも「ねるのだ悪魔」、いわゆる「睡魔」が住んでいるようで、午後の会議や講演会の際には「ねるのだ~ねるのだ~」と誘惑してきます。ほとんど負けてしまうのですが。
ここでの誘惑は三つです。第一は石をパンに変える誘惑です。それに対し、イエスは申命記8章3節の言葉によって拒否されます。荒れ野をさまよっているときに神がマナを与えられたのは、マナによって飢えを満たすことが目的だったのではなく、神によって人は生きるものであるということを伝えるためだったということが申命記の教えです。
第二の誘惑は偶像崇拝です。偶像とは異教の神のことというよりも、悪魔が言うようにこの世の権力と繁栄(富)です。これらのものを求めることは、神よりもこの世で多くの人々が求めているものを崇拝することです。第一の誘惑も健康や長寿こそが幸せだという考え方とつながるかもしれません。
第三の神殿から飛び降りる誘惑です。ルカとマタイでは第二の誘惑と第三の誘惑が逆になっています。神に信頼することは大切なのですが、悪魔の言葉は、神を試せと言っています。神を試すということは信頼の欠如であり、同時に「試してやろう」という上から目線の立場であるからです。イエスはそれを明確に否定されます。
わたしたちも食べ物や財産を必要以上に求め、神がほんとうに助けてくれるかどうか不安に感じることもあります。しかし、ここで重要なことは一人の人間であるイエスが誘惑に打ち勝たれたということです。イエスはわたしたちの分まで誘惑に打ち勝ってくださったのです。わたしたちが誘惑に負けそうなとき、あるいは負けてしまったときには、イエスが十字架を通してあがなってくださったことを思い出しましょう。
(柳本神父)
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