3月16日 四旬節第2主日

3月16日 四旬節第2主日 ルカ9章28節b~36節 イエスは祈るために山に登られた

  四旬節第二主日の福音は毎年「主の変容」の場面が読まれます。この出来事はマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書に記されており、その内容もほぼ共通しています。今年はC年なのでルカの福音書です。なお、この山はタボル山と伝えられていますが、ヘルモン山だという説もあります。

 四旬節というとイエスの受難を思い起こすときなので、今日の福音のイエスの栄光に輝く姿はふさわしくないようにも思えますね。実は朗読箇所では省略されていますが、28節前半には「この話をしてから八日たったとき」と書かれています。「この話」とはイエスが「苦しみを受け、排斥され、三日目に復活する」と来るべき受難と復活を予告されたことです。つまり、「この話」と変容の出来事はつながっているということです。
 イエスが山に登られるとき、連れて行かれたのはペトロとヨハネとヤコブの三人だけでした。とくにマタイとマルコでは「だけ」と記されているので、特別に選ばれたようにも思えます。しかしこのあと彼らがこの体験について何か役割を与えられたわけではないようです。実は私、この日の教会学校プリントのイラストに弟子を左右に二人ずつ、四人描いてしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。思い込みで描かず、原点をちゃんと確認するべきですね。教会学校では「間違い探し」として使っていただいても結構です。ほかにも以前には「家の中で」と書かれているのに野外に描いたりしたこともありますので以後気を付けたいと思います。
 それはともかく、そこへモーセとエリヤが現れてイエスと語り合います。モーセは律法を授かった人、エリヤは預言者の代表です。「律法と預言者」は旧約聖書のことを表すので、イエスの受難と復活によって旧約の律法と預言が完成されることを表すのでしょう。
 ペトロは仮小屋を三つ建てることを提案します。この栄光がこのまま続くように願ったのでしょうか。あるいは、イエスが予告された受難を否定したかったのかもしれません。しかし、モーセとエリヤの姿は消え、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という天の声が聞こえます。新約の主であるイエスのみことばを聞き、イエスの死と復活による救いを受け入れるよう告げられたのです。その後、イエスの姿は元に戻り、三人の弟子たちはイエスが殺されるかもしれないという不安を抱いたまま山を下りました。

 わたしたちも弟子たちのように、不安を抱いて現実を生きています。しかし、イエスの栄光の姿は、そんなわたしたちに最後はハッピーエンドに終わること示しておられます。
 このルカの福音では、イエスは「祈るために」山に登られ、「祈っておられるうちに」イエスの姿が変わったということでイエスの「祈り」が強調されています。わたしたちも不安や苦しみのうちにあるとき、祈りを通して主の栄光にあずかれるのです。四旬節はその祈りにふさわしい時であるといえるでしょう。

(柳本神父)

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