3月23日 四旬節第3主日

3月23日 四旬節第3主日 ルカ13章1~9節 悔い改めてよろこびを分かち合う

 四旬節第三主日の今日読まれるルカの福音では、悔い改めを呼びかける内容となっています。二つの部分からなっていて、前半はガリラヤ人がローマ兵に殺されたという話、後半はいちじくの木のたとえです。

 前半の「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」という出来事は、おそらくエルサレムの神殿にガリラヤから礼拝に来ていた人が、ローマ兵によって殺されたという事件があったのでしょう。実際に「血をいけにえに混ぜた」のではなく、いけにえを捧げに来た人まで殺されてしまったということですね。それをイエスに告げに来た人々がイエスに聞きたかったのは「彼らはどのような罪の報いで災難にあったのか」ということでした。いわゆる因果応報の考え方です。
 それに対してイエスは「悔い改めなければ滅びる」、と言われているので、その人たちやシロアムの塔の崩壊で犠牲になった人々が罪を犯していたと言われているように思えます。しかし、イエスに告げた人々は「自分たちは災難を受けるような悪いことはしていない」と考えていたようなので、彼らに対して悔い改めを求めているのでしょう。イエスは律法学者やファリサイ人が、自分たちは立派な人間であると考えて、律法を守れない人々や罪を犯した人々を見下していることに対して厳しくいさめられているので、同じように「あなたがたも悔い改めが必要な罪びとなのだ」と言われたのでしょう。
 そして後半のいちじくの木のたとえです。以前も書きましたがわたしはいちじくが好きなので、ずいぶん前に苗を買ってきて松阪教会に植えたことがあります。なかなか実がならなくてあきらめかけていたころに実がなりました。知らないうちに教会の信者さんが肥しをやって世話をしてくれていたのでした。この箇所を読むとそのことを思い出します。
 イエスのたとえ話の主人は父である神を表すことが多いです。しかし、今日の話では「切り倒せ!」と厳しい主人です。そして園丁はイエスのように思えますが、一体であるはずの父と子で意見が違うのはおかしいですね。それで前半の話と考え合わせると、今日の福音のテーマは「悔い改め」であることがわかります。「悔い改め」は悪いことをやめて正しく生きる、というイメージが強いですが、何よりも大切なことは「神に向かう」ということです。神のほうを向いて歩きだしたとき、神のほうから迎えに来てくださいます。

 わたしたちが悔い改めるのは何のためでしょうか。四旬節の務めを果たすためでしょうか。それが目的ではありませんね。では神の裁きを避けるためでしょうか。しかし、神とのかかわりは個人的なものではありません。いちじくの実が実るのも、ほめてもらうためではなく、食べてよろこんでもらうためです。逆に、実らなければこの世によろこびを分かち合うことができません。この世界が滅びではなく救いに向かうために、わたしたちも悔い改めてよろこびを分かち合うことが求められています。

(柳本神父)

PDFはこちら→ 3月23日説教 四旬節第3主日

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