4月6日 四旬節第5主日 ヨハネ8章1~11節 神との和解は人との和解をもたらす
今日までの三週間、福音の箇所は「悔い改め」に基づく内容となっています。四旬節のテーマ自体が悔い改めであるともいえますが、悔い改めることによって神とのかかわりを深めてわたしたちは来週の聖週間へと歩みを進めていきます。
今日の福音の中心人物は姦通の罪を犯した女性ですが、この女性だけでなく、彼女を断罪しようとした人々も含めて、悔い改めについて考えることができます。
この女性は姦通の罪で訴えられたのですが、当時の「姦通」は結婚して妻がいる男性が、他人の妻と関係を持つことでした。しかし、結婚していない独身女性と関係を持つことは姦通ではありませんでした。妻は夫の所有物と考えられていたようで、社会的秩序を乱す姦通は律法において大きな罪とされていたようです。子どものころからカトリック祈祷書を持っていたわたしは、男女の関係を知り始めたころに「天主の十戒」を読んで、なぜ「姦淫するなかれ」があるのに、わざわざ別項に「人の妻を恋うるなかれ」があるのか不思議だったのですが、そういう大人の世界の事情があったのですね。
姦通の罪は男女ともに死刑でした。当時の死刑はみんなで石を投げて殺害する方法でした。男性がいなかったのは逃げてしまったのか、それとも見逃してもらったのかもしれません。そして、この女性が連れて来られたのはイエスが人々に教えておられるときでした。これはイエスを試すための罠でした。「殺してはいけない」と言うとイエスが律法を否定していると訴えることができますし、「殺せ」と言うとそれまでのイエスの教えと矛盾します。どちらにしても逃げ場のない質問です。そこでイエスは「罪を犯したことがない者が、まず、石を投げなさい」と言われます。「まず」がポイントですね。いちばん先に投げると、みんなの前で「わたしは罪を犯したことがない」と宣言することになります。「お前がほんとに?」と思われるので、だれも石を投げることができなくなりますね。
この出来事は「イエスが神の知恵でピンチを切り抜けたお話」ではありません。イエスはこの女性の罪を赦し、ふたたび歩み始めるよう送り出されます。ここに神との和解、悔い改める人の姿が示されています。そしてイエスのすばらしいところは、敵対する立場の、人たちに対しても教え諭されるところです。税金についての問答でも「皇帝のものは皇帝に」に加えて「神のものは神に」と教えを付け加えられました。今日の箇所でも、イエスに敵対する人にも自分の罪と向き合うことを教えられているのです。
律法学者やファリサイ派の人々は、イエスのことばを聞いてどう思ったのでしょうか。よけいに恨みをつのらせたのでしょうか。しかし一人、また一人と立ち去ったことから、わたしは彼らも自分が罪びとであることを認めたのだと思います。そうして断罪する立場の人々と、罪を犯した女性との壁が取り払われてともに悔い改めへと導かれました。「悔い改め」は神との和解だけでなく、人々の中にも和解をもたらすのです。
(柳本神父)
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