6月8日 聖霊降臨

6月8日 聖霊降臨 ヨハネ14章15~16、23b~26節 宣教する共同体に働く霊

 今日の福音はイエスによる聖霊降臨の予告です。四つの福音書には五旬祭の出来事が記されていないので、「来るべき聖霊降臨」についての教えとなっています。実はこの箇所は復活節第6主日の福音朗読箇所と重なっています。多少ずれてはいるのですがイエスの言いたいことは同じです。こういうときに説教をする立場としては困るのですが、幸い共同宣教司牧なので同じ教会ではありませんので助かります。とはいえ、このコーナーでは同じことを書くわけにはいけませんので、第一朗読も併せて聖霊降臨の意味について考えてみたいと思います。

 聖霊降臨のことはペンテコステとも呼ばれます。それは五十番目という意味のギリシア語で、ユダヤ教の五旬祭の日に起きた出来事だからです。ちなみに5はペンタなので、五角形の建物であるアメリカ合衆国国防省はペンタゴンと呼ばれています。
 ヨハネの福音書ではイエスが復活されて弟子たちに現れたときに「聖霊を受けなさい」と言って息を吹きかけられます。これがA年の朗読箇所です。イエスが昇天される前の出来事なので、「どっちが聖霊降臨なん?」と言いたくなりますが、ヨハネでは復活と聖霊降臨、そして派遣が分かちがたい出来事であることが強調されているのでしょう。
 教会では受難と復活、昇天、聖霊降臨が別々の日に祝われますが、その意味はつながっています。受難と復活により罪の赦しと救いが完成し、昇天によって人間としての御子はいらっしゃらなくなりましたが、霊として来てくださいました。これは主がともにおられるためのプロセスであると言ってもいいと思います。先週、「姿が見えなくなったのは、心の中に来られたからだ」と書きましたが、心の中に来られるイエスのことを聖霊と呼んでもいいでしょう。聖霊は父と子から送られる霊であるからです。
 第一朗読の使徒言行録では、聖霊を受けた弟子たちが各地の言葉で話す様子が記されています。かといって、英語の試験のときに「聖霊来てください」と祈ってもいきなり英語ができるわけではありません。しかし、ここに記されている地名はこののちイエスの教えが広まっていく場所です。この出来事はそのような国々に教えが伝わるしるしとして表されているのでしょう。弟子たちは多くの協力者に助けられ、自らも言葉を学ぶことによって福音を伝える努力をしました。そして、あらゆる国々の人々が「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを」聞く時代がこれから到来するのです。

 聖霊降臨は教会の始まりと言われています。弟子たちに霊が降ったのは、イエスの教えを広めるためでした。ということは、聖霊は教会共同体に働くものであるといえます。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18章20節)とイエスは言われました。集まるところとは教会、その中に来てくださるのは聖霊だということなのです。

(柳本神父)

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