6月15日 三位一体の主日 ヨハネ16章12~15節 父と子と聖霊とわたしたち
教会は聖霊降臨の次の主日に三位一体をお祝いします。旧約の時代、父は預言者を通してイスラエルの民にご自分の存在を示されました。そしてそのひとり子がこの世に来られて神の福音を語り、救いの実現のために命をささげられ、三日目に復活されました。その五十日後に天に帰られたあとに聖霊が降臨し、これで役者がそろったということですね。
この三つの名前を持つ神さまの関係はどうなっているのでしょうか。今回はそれを信仰宣言から考えてみましょう。信仰宣言(信条)は三つの部分からなっていて、それぞれ父と子と聖霊に対する信条となっています。最初は父についてですが、「天地の創造主、全能の父である神」と簡単にまとめられています。次に子ですが、これは丁寧に述べられています。というのも、「子は人であって神ではない」「いや、神であって人ではない」などと論争があったため、神のひとり子でありながら人間としてこの世に生まれ、そして受難ののち復活した方であるということが宣言されます。最後に聖霊です。信仰宣言では「聖霊を信じ」とそっけなく終わりますが、ニケア・コンスタンティノープル信条では、「聖霊は父と子から出て」と宣言されています。これは、「聖霊は父からのみ発出する」という考え方を戒めるためです。文語体では「聖霊は父と子とより出で」となっていました。埼玉県に寄居(よりい)という町がありますので、わたしは「聖霊は父と子と寄居で出会うのかあ」と思っていました…いや、ちょっと思いついただけです。
聖霊の次に教会について宣言します。先週記念した聖霊降臨は、教会が誕生するきっかけとなり、聖霊は教会を導きます。聖霊についてそっけなく記されているように思えるのは、このあと教会における聖霊の働きが宣言されるからです。今日の福音にもそのことが示されています。
このように、三位一体の神は世界を完成に向けて導かれます。三位一体の神さまの関係はどのようになっているか、わたしたちには理解できません。しかし、たしかなことは、神は人類と世界を救いに導くために三位一体の神であられるということです。人類が存在しなければ、神は三位である必要はありませんでした。つまり、三位一体の神秘とは、わたしたちとのかかわり方の神秘であるということです。
子に対する信仰宣言では、最後の審判について宣言されます。「生者と死者を裁くために来られます」というところです。これは、最後の部分の「聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのち」とつながっています。これらの出来事は一つ一つ別々の出来事というよりも、三位の神がなしとげられる神の国の完成のために必要なこと、そしてそのときに起こるべきことです。
神の国が完成するとき、わたしたちもみんな一緒にお祝いします。それがからだの復活ですね。わたしたちも三位の神の交わりに招かれているのです。
(柳本神父)
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