6月22日 キリストの聖体 ルカ9章11b~17節 12のかごがいっぱいになった
教会では聖霊降臨のあと、三位一体、そしてキリストの聖体をお祝いします。キリストの聖体の祭日は、本来は年間第12木曜日ですが、主の昇天と同様、日本では日曜日に祝われます。最後の晩さんを記念する聖木曜日こそが聖体の記念日であるといえますが、主の復活を記念したわたしたちは聖体の秘跡の意味をさらに深めていきます。そして秘跡の源である聖霊の働きにも心を向けることができるでしょう。
今日は最後の晩さんでの聖体制定の場面ではなく、パンを増やす奇跡の福音が読まれます。それは聖体の秘跡を象徴する出来事だと考えられているからです。しかし、イエスが賛美の祈りを唱えてパンを配らせたことがミサと似ているから、というよりも、この出来事のあり方に聖体の秘跡の意味が見いだせるため、この箇所が選ばれているのでしょう。
ではどのようなところがミサを表しているのでしょうか。まず、イエスは何もないところからパンを作られたのではなく、弟子たち(ヨハネでは少年)が持っていたパンと魚を元に増やされたということです。これは奉納を思い起こさせます。ミサの奉納は聖変化に用いるパンとぶどう酒を祭壇に運ぶことと思われていますが、大切なことはわたしたちの日常生活での喜びや悲しみを奉献することです。この一週間の喜びや悲しみの体験を神さまに捧げます 。献金を納めるのをミサの参加料のように考える人もいるかもしれませんが、日常生活を過ごしたしるしとして生活費の一部をおささげするのです。
そしてみんなが満腹したあと、イエスは残ったパンを集めるように言われます。ヨハネでは「少しも無駄にならないように」と念を押されています。イエスは残ったパンを活用することを考えておられるということですね。ではどのように活用されるのでしょうか。そのヒントは12のかごにあります。12はイスラエルを表す数字です。ということは、そのパンをイスラエル全土に配るように、という意味だと考えられます。イエスのパンはここに集まっている人々以外にも配る用意がされているということなのです。
最初のパンは弟子たちが配りました。しかし、12かごのパンは群衆にゆだねられたのではないでしょうか。そして、パンとともに彼らがイエスに出会った喜びや、イエスが語られたみことばも配られたはずです。イエスのパンは弟子たちからイエスの教えを聞きに集まった人へ、そしてそれを待っている人へと、さらに増えていくのです。
わたしたちは二週間前の聖霊降臨の主日に教会が始まったことを記念しました。教会は聖霊の働きによって始められ、いまも聖霊の働きによって活かされています。そのしるしが聖体祭儀です。聖体祭儀をミサと呼ぶのは「ミッション=派遣」から来ているのはご存知だと思いますが、今日の福音においても群衆はパンを配るように派遣される準備がなされています。わたしたちも心の中にイエスの体をいただいて、みことばと愛のパンを携えて必要な人に配るよう派遣されていくのです。
(柳本神父)
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