7月6日 年間第14主日

7月6日 年間第14主日 ルカ10章1~12、17~20節 神の国はわたしとあなたに近づいた

 聖霊降臨の翌日から典礼は二回目の年間に入ります。主日は三位一体、キリストの聖体、ペトロパウロと続いたので気づかない人も多かったと思いますが、週日はすでに年間の典礼でした。一回目の年間は主の洗礼から四旬節の間なのでイエスの宣教生活を表し、二回目の年間は聖霊を受けて誕生した教会の宣教を表しています。

 今日の福音はイエスが弟子たちを宣教につかわす場面です。もちろんこれはイエスの三年間の宣教生活中の出来事ですが、聖霊降臨後の弟子たちの宣教活動につながる内容ですので、二回目の年間にはふさわしい箇所だといえるでしょう。
 しかし弟子たちにとってはまだイエスの教えを十分理解していない状況ではないでしょうか。この前後にイエスが受難と復活を予告されたときも弟子たちはその意味を分かっていないようです。神の救いについての最も重要なことであるはずなのに。お稽古事でも名取や免許皆伝を経てはじめて人に教えることができるのではないでしょうか。ちなみに私は先日の書道の昇段試験は不合格でしたので偉そうに言える立場ではありませんが。
 ではなぜイエスはこの段階で弟子たちを派遣したのでしょうか。そのポイントは最初に記されている「御自分が行くつもりの」というところにあります。先に彼らをつかわしたのは、イエスとつなぐ役割を与えられたということです。神の教えをすべて伝える必要はないということですね。でもわたしたちだったらどうでしょうか。せめてイエスの教えをまとめたパンフレットやDVD、聖書と典礼などを持って行きたいところですがそれも許されていません。そうなると、自分の言葉で伝えるしかありません。「わたしはイエスと出会ってうれしかった」「あの方はきっと救い主だと思います」「あの方は罪びとのわたしをゆるしてくださいました」…それで十分なのです。それが「神の国はわたしにも、そしてあなたがたにも近づいた」というメッセージなのではないでしょうか。
 みなさんも旅行のときにはあれやこれやとトランクに詰め込むことと思います。わたしもできるだけ荷物は軽く、でも必要なもの最低限は用意します。お風呂セットは必需品です。足りないものや忘れたものはお金やカードがあればなんとかなりますが、イエスは財布も持って行くなと言われます。じゃあどうすればいいのでしょう。そうなると旅先でだれか世話をしてくれる人を探すしかありません。ということは、友だちを作るということですね。そう、宣教とは世話になることであり、友だちを作ることです。

 わたしたちは今日の福音のように宣教旅行をすることはありませんが、日常生活では誰かの世話になり、友だちを作っています。もしそこで「あなたはイエス・キリストを信じているんですか」と聞かれたときに何と答えるでしょう。聖書の教えを説明する必要はありません。「わたしにとってイエスとは」「教会とは」を自分の言葉で伝えることが大切です。神の国はわたしにも、あなたの隣人にも近づいているのですから。

(柳本神父)

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