11月23日 王であるキリスト 「楽園をすべての人に」

11月23日 王であるキリスト ルカ23章35~43節 楽園をすべての人に

 今日は年間最後の主日、王であるキリストの主日です。教会は一年の典礼暦を世界の始まりから終わりに至る救いの歴史になぞらえて記念します。今日はその世界の終わりを記念する日なので典礼暦の大晦日にあたります。福音はA年、B年、C年でかなり違う内容となっています。C年の今年はイエスの十字架と犯罪人の回心の箇所です。共通するのは「王」という言葉で、A年はイエスのたとえの中で、B年とC年はピラトの言葉と兵士の言葉の中に「ユダヤ人の王」として出てきます。

 今日の福音ではとくに二人の犯罪人のイエスに対する対照的な態度が中心となっています。十字架刑はローマ帝国の刑罰ですから、二人とも重大な罪を犯したということでしょう。犯罪人の一人が「メシア」と呼ぶのは兵士たちの「ユダヤ人の王」と同じ意味です。兵士もその犯罪人も「自分(と我々)を救ってみろ」と呼びかけます。犯罪人も助けを求めるというよりも、兵士とともにイエスをののしっているようです。
 一方、もう一人の犯罪人はそれをたしなめ、イエスに「御国においでになるときにはわたしを思い出してください」と願います。それに対してイエスは「今日あなたとともに楽園にいる」と答えられます。その「楽園」とはどこでしょうか。
 日本語で楽園というと、パチンコ店や中華料理店の店名になっていて、なんだか俗っぽいイメージですね。パラダイスと言い換えても、もうなくなりましたが紅葉パラダイス、探偵ナイトスクープで有名な淡路島のパラダイスなど、これまたのんきな雰囲気がただよいます。福音ではこのあと彼らは刑死するので楽園は死後の天国と考えられてきました。それで、死の直前に回心した犯罪人はその一言で救われたので「天国どろぼう」と呼ばれ、信者の間でうらやましがられてきましたが、はたしてそうでしょうか。
 この犯罪人が「あなたの御国」と言っているのは、最後のときにイエスこそ救い主であることを信じたということでしょう。「この方は悪いことをしていない」とも言っているので、彼は悪事を働きながらも、イエスのことを聞いていて興味を持っていたのだと思います。それで人生の最後にイエスと会えたことを喜んだのではないでしょうか。楽園は創世記ではアダムとエバが神とともにいたところです。神とともにあるところ、それが楽園だとすれば、十字架の苦しみの中ではありますが、神の子と一緒にいるこのときが彼にとって「楽園」であり、イエスが「今日」と言われたのも、死後というよりも、「今、あなたと一緒にいるよ」という意味だと考えることもできます。

 死後の救いはごほうびのように考えられがちですが、それは成績で評価するこの世の考え方です。イエスがわたしたちを導く「王」として、ともにいることを願っているとき、今ここに楽園があるといえるでしょう。その楽園が世界中すべての人に広がるとき、神の国が完成するのです。

(柳本神父)

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