1月18日 年間第二主日 ヨハネ1章29~34節 イエスを指し示し、橋渡しする役割
今日は年間第二主日ですが、先週は「主の洗礼」で第一主日はありませんでしたね。実は「主の洗礼」から第一週が始まるので、第一主日は主の洗礼の主日の背後に隠されています。年間は典礼暦で二回ありますが、今回の年間はイエスが洗礼を受けて宣教生活に入ったことから、イエスの宣教を記念する期間です。今日はヨハネの福音から、その始まりの時期のエピソードが朗読されます。なお、B年は1章35~42節、C年は2章1~11節が読まれますが、年間では第二主日のみヨハネの福音が読まれることになっています。
ヨハネの福音ではイエスの洗礼の場面は出てきません。そのかわり、今日の箇所でヨハネの口を通してイエスに聖霊が降るのを見たということが証言されます。これは他の福音ではイエスの洗礼の際に起こったことですが、今日の箇所ではヨハネはイエスに洗礼を授けたかどうかは明言していません。はっきりしているのはヨハネが人々に洗礼を授けていたのはイエスが現れるためであったということです。先週の福音とはちょっとニュアンスが異なりますが、ヨハネは聖霊によってイエスが救い主であることを確信したのでした。
そのような行いから、ヨハネは「洗礼を授ける人」として理解されてきました。わたしが子どものころ、カトリック教会では使徒ヨハネと区別するために「洗者聖ヨハネ」と呼ばれていました。「戦車みたいだな」と思っていました。「洗う者」というとお風呂屋さんの三助さんみたいですね。東京の斎藤湯では最近まで三助さんがいらしてお年寄りの体を洗ったりマッサージをされたりされていたのですがリニューアルを機に廃止されたようです。自由が丘のみどり湯で限定的に復活したそうです。釜焚き・湯加減調整・あかすりの三役をこなすので三助と呼ばれていたということです。
それはともかく、ヨハネの福音書では洗礼者ヨハネがイエスを「神の子羊」と呼んで証ししています。今日の福音もそうですが、続く箇所(B年に読まれる箇所)ではヨハネの弟子であったアンデレともう一人がイエスのもとへ行き、さらにアンデレの兄弟シモン・ペトロもイエスの弟子になるという内容です。主の降誕の日中のミサで読まれる箇所でもヨハネは「証しをするために来た」と記されています。そのように、ヨハネの福音書の一章において、洗礼者ヨハネは「イエスを指し示し、橋渡しする者」であったということが強調されているのです。
先週、主の洗礼のところで「わたしたちも神の愛する子」であると述べました。それは、わたしたちもイエスと同じように神から愛されている者であり、イエスのように神の愛を分かち合う生き方が与えられているということです。そしてわたしたちには洗礼者ヨハネと同じ役割も与えられています。それは、イエスを指し示し、イエスがともにいてくださる神であることを証しする役割です。ヨハネのように、わたしたちにもイエスを指し示し、橋渡しするチャンスが与えられるかもしれません。
(柳本神父)
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