3月1日 四旬節第2主日 マタイ17章1~9節 栄光の主がともにおられる
四旬節第二主日の福音は毎年イエスの姿が光り輝いたという「主の変容」の箇所が読まれます。四旬節はイエスの受難と世界の苦しみに心を向けるときでもありますが、その先に主の栄光があることが示されています。
変容についてはマタイ、マルコ、ルカの三福音書に書かれていますがいずれも共通するのは一回目の受難予告のあとのことだったということです。マタイとマルコは六日後、ルカは八日後の出来事とされています。何日後かはともかく、これがイエスの受難と深く結びついているということでしょう。その意味では、四旬節の第二週に読まれるのにふさわしい箇所であるといえます。
イエスは三人の弟子を連れて高い山に登られました。なぜこの三人だったかは不明です。たまたま近くにいただけかもしれませんが、ペトロは受難予告の際にイエスをいさめて叱られているので、ぜひ連れて行きたかったと思われたのかもしれません。「高い山」の名前は記されていませんが、タボル山だと言われています。ガリラヤ湖の西にある標高575メートルの、おわん型の山なのでよく目立つようです。写真で見ると耳成山を大きくしたような感じです。日本にあれば神体山として神社が建てられて拝まれるような山ですね。
それほど急な山ではなさそうですが、弟子たちにとってはちょっとしんどい登山だったかもしれません。イエスは受難の予告のあと、「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と言われているので、山頂への登山はそれを象徴していると考えることもできるでしょう。そして山の上でイエスは光り輝く姿を表されたのでした。
モーセとエリヤは旧約を代表する二人です。旧約聖書は「律法と預言者」と呼ばれていますが、モーセは律法を預かった者、エリヤは預言者であるので彼らは旧約聖書を象徴する存在です。彼らがイエスの最期について語り合っていたということを通して、イスラエルの民を選ばれた神の計画がイエスによって成就することを示しています。
そして天から父なる神の声が聞こえます。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声はイエスが洗礼をうけられたときと同じ言葉です。「これに聞け」は教えを聞くだけでなく、「聞き、従う」という意味だそうです。神の子としてこの世に来られ、洗礼を受けて神の教えを宣べ伝えられた主は、弟子たちを招かれました。主の変容は、そのような神の計画を示す出来事であるといえるでしょう。
わたしの十字架とは何でしょうか。水戸黄門の主題歌ではありませんが、人生には楽も苦もあります。あるいは人生そのものが十字架であるといえるかもしれません。今日の福音は、将来の栄光を期待して人生の苦しみに耐えなさい、という意味ではなく、いま、栄光の主がわたしとともに人生を歩んでくださるというしるしではないでしょうか。そして、人生の重荷に苦しむ人とその希望を分かち合うことができるといいですね。
(柳本神父)
PDFはこちら → 3月1日説教 四旬節第2主日