3月8日 四旬節第3主日「もうあなたが話してくれたからではない」

3月8日 四旬節第3主日 ヨハネ4章5~42節 もうあなたが話してくれたからではない

 A年の今年は四旬節第三主日から第五主日まで、ヨハネの福音が朗読されます。四旬節の本来の目的は、洗礼志願者が準備するための期間なので、これらの福音は、洗礼を準備するための内容となっています。今日の福音は、サマリアの女性にイエスが水を求めるところから始まります。

ヨハネの福音には、イエスが宣教を始めるときの具体的な記述はありません。今日の福音もそうですが、イエスのみことばが多くの部分を占めています。ほかの三つの福音書との違いはそこにあります。イエスの宣教の出来事を時系列的に並べるのではなく、イエスがご自分についてどのように語られているかを伝えるために、宣教中の出来事がその時々に記されています。今日の福音もイエスと女性、そして町の人々とのかかわりを通して、ヨハネの福音書のメインテーマが示されているといってもいいでしょう。
イエスはなぜこの女性に声をかけられたのでしょうか。当時、水を汲みに行くのは女性の仕事でした。わたしが東ティモールで見た光景を思い出します。集落から離れた水汲み場から女性や子どもが頭に水がめを乗せて帰ってくる姿を夕方によく見かけました。水汲みは普通朝と夕方に行くものだそうですが、この女性は正午ごろに来ていました。ほかの女性と顔を合わせたくなかったからだという解釈があります。夫ではない男性と連れ添っているということから、白い目で見られていたのかもしれません。イエス自身も故郷では受け入れられずにサマリア地方にやむなく移動してこられたので、心身ともに疲れていたのかもしれません。それでイエスはこの女性に共感されたのだとも考えられています。
ここからイエスと女性のやりとりが始まります。イエスは実際に喉が渇いていたのでしょう、「水を飲ませてください」と声をかけられます。そこから「生きた水」、「女性の境遇」、「霊と心理による礼拝」の話に続いて自分がメシアであることを告げられます。
これは、この女性だけでなく、わたしたちにも当てはまる体験です。わたしたちは日常生活の出来事からイエスの呼びかけを感じ、生きた水-永遠のいのちを願い求め、そしてイエスが救い主であることを知り、信じるのです。でもそれで終わるのではありません。そのあとこの女性は自分の町に行ってイエスのことを告げるのです。

これらの出来事は、信仰や救いが個人のためのものではないことを表しています。最後に町の人々は「信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない」と彼女に告げます。ちょっと冷たい言葉のようですが、これこそ彼女に対する最高の誉め言葉です。なぜなら、彼女の言葉によって人々はイエスを迎え、信じることができたからです。
わたしはこの箇所が大好きです。この女性はイエスの宣教者となったからです。でもそれはあくまでも仲立ちの役目であって、あとはイエスが直接会いに行ってくださるのです。わたしもどこかでこのような役目を果たせたらええなあと思います。

(柳本神父)

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