4月12日 復活節第2主日 ヨハネ20章19~31節 取り残されている者を見捨てない
復活節第2主日は白衣の主日とも呼ばれます。初代教会では、新しく洗礼を受けた人がキリストを着るしるしとして受けた白衣をこの日に脱ぎました。一週間続いた復活祭のお祝いが今日で終わるしるしでもあります。また、教皇ヨハネ・パウロ二世は2000年の聖年でこの日を神のいつくしみの主日と定められました。
この日の福音は毎年同じ箇所が読まれます。復活祭の福音は「空の墓」でしたが、その後イエスに従っていた女性たちや弟子たちに現れ、彼女・彼らはイエスがほんとうに復活したことを信じるようになります。今日の福音では弟子たち、そしてトマスに現れる出来事が述べられています。
イエスが十字架につけられたあと、弟子たちが鍵をかけて集まっていたときのことでした。師であるイエスが反逆罪で処刑されたとあれば、自分たちも捕まるかもしれないと恐れていたのです。そこにイエスは現れて真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と声をかけられます。これはユダヤ人の日常的なあいさつで、ヘブライ語では「シャローム」です。わたしはかつて三重県にいたときに車で関インターに向かうと「シャローム」というカフェがあり、関には「シオン」というカフェがあって「イスラエルみたいだな~」と思っていました。また三重に住むので同じ体験をすることになりそうです。まだお店あるかな?奈良市にも左京にカフェ「シャローム」があるようですね。残念ながら現代のイスラエルは「平和」とはいえない状況ですが「平和があるように」と祈りましょう。
イエスのあいさつはおびえている弟子たちに対する祈りもこめられていたのでしょう。そして「真ん中に立ち」は復活の主がともにおられるというしるしですね。それで弟子たちは大いに喜びました。しかしそこにはトマスはいませんでした。
トマスは「見て、触れないと決して信じない」と言っているので、「疑り深いトマス」と呼ばれることもあるようですが、おそらくは自分のいないときにイエスが現れたことで悔しい思いがこの言葉になったのだと思います。「わたしも会いたかった!」という強い思いの裏返しではないでしょうか。ですから、イエスが「見ないで信じる者になりなさい」と言われたのも、トマスに対して責められたというよりも、見ていなくても信じたいと思っている人々に対する励ましの言葉であるといえるでしょう。
教皇フランシスコは「神のいつくしみの主日」制定20年のミサで「神のいつくしみは、取り残されたものを見捨てない」と語られました。トマスは復活されたイエスとの出会いに取り残された者でしたが、イエスは彼のためにふたたび来てくださいました。そして彼は「わたしの主、わたしの神よ」というすばらしい信仰宣言を行い、復活の主を伝える決意を表わしたのです。わたしたちもこの世で取り残されている人々に、神のいつくしみを告げ知らせる使命が与えられているのです。
(柳本神父)
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