2月9日 年間第5主日 ルカ5章51~11節 あなたを招きたい
イエスはすでに宣教を始めておられましたが、各地にでかけるに際し、弟子を集めました。ルカの福音では、最初に漁師であったシモン・ペトロとヤコブを招かれます。そのときの出来事が今日の箇所です。
イエスは彼らを招くにあたり、魚をとるために網を降ろさせます。それまで全くとれなかったのですが、ペトロは網を降ろします。心の中では「こちとら漁の専門家なのに素人が何を言ってやがる」と思うところでしょうが、舟の上でイエスの教えを聞いていたので、「この人の言うことには力がある」と感じたのでしょう。「お言葉ですから」という言葉にそれが表れていると思います。そしたら二層の舟が沈みそうになるくらいたくさんの魚がとれました。大量の大漁ですね。
そしてイエスはペトロに「あなたは人間をとる漁師になる」と言われます。これは弟子としてついてくるようにという招きの言葉です。以前の聖書では「人を漁る(すなどる)漁師となる」と記されていました。これは伝統的な言い回しで、ふりがながないと読めないですね。「す」が島や中洲を表す「州」、「な」が「魚」で、州で魚を獲るという意味らしいです。砂地で獲るということではありません。
「人間をとる」というと、宣教の対象を魚に見立てているようで、「上から目線」のように感じるかもしれませんが、これはその前の大漁に基づくもので、そのように多くの人が集まってくるということです。とはいえ、数の問題ではなく、ペトロが魚をとる仕事をしていたのでそのような言い方をされたのでしょう。もし彼が大工さんだったら「神の家を建てる大工にしよう」、バスの運転手さんだったら「神の国に運ぶ運転手にしよう」、美容師さんだったら「みんなの心をきれいに整える美容師にしよう」と言われたかもしれません。いずれにしても、「漁師であるシモン、あなたを招きたいのだ」というイエスの思いが表れているようです。
そのあと、ペトロとヤコブはすぐにイエスに従います。イエスの「あなたに来てほしい」という思いに応えたのでしょう。その前に、舟の上でのイエスの話を横で聞いていて感動したこともあると思います。「すぐに」従ったのは、これは自分にとって二度とない大きな出来事だということを感じたからではないでしょうか。
これは遠い昔の出来事ではありません。今のわたしたちにも起こっていることです。イエスは弟子たちに「わたしがあなたがたを選んだ」と言われました。この言葉はわたしたちにも向けられています。わたしたちはペトロやヤコブのように、すべてを捨てて従うことはできないと思うかもしれません。必要なことは、「捨てる」よりも「選ぶ」ことです。なんだか片付けの極意みたいですが、わたしのような者を選んでくださってありがとうございます、という思いを忘れないことが大切なのではないでしょうか。
(柳本神父)
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