5月11日 復活節第4主日

ヨハネ10章27~30節  父のもとに群れを導く羊飼い

毎年復活節第4主日にはヨハネ10章から羊と羊飼いのたとえが読まれます。C年の今年は神殿でユダヤ人たち(おそらくファリサイ派の人々や祭司などの指導者)に話された内容です。その前にもイエスは同じようなたとえをファリサイ派の人々に話されているのでこれらは一連の説教だといえるでしょう。
ほかの福音書ではイエスは宣教開始後、初めてエルサレムの神殿に入ったのは受難の前とされていますが、ヨハネではたびたびエルサレムに入っておられます。ヨハネでは時系列にこだわらず、イエスの教えを内容で編集していったのではないでしょうか。

  イエスはユダヤ人たちに「わたしの羊ではない」と言われます。それは、「メシアならはっきりそういいなさい」と問われたのに対し、「わたしは言ったが、あなたたちは信じない」からだということです。つまりイエスの羊とはイエスの言葉を聞いてそれを信じる人々のことだといえるでしょう。
この前の10節にも書かれていますが、羊は羊飼いの声を聞き分けるそうです。このたとえは羊が実際にそうすることに基づいています。牧草地や夜に羊が休む囲いにはあちこちから羊飼いが羊を連れて集まります。しかし、出発するときに羊飼いが呼ぶと、羊はちゃんと自分の羊飼いについていきます。そして羊飼いも自分の羊をよく知っているので、ほかの羊が混じっていてもわかるそうです。ちょっと信じられないかもしれませんが、ペットを飼っている人には経験があるかもしれません。そろそろ出てくるかな、とお思いの方もおられると思いますが、そう、鹿の話です。飼っているわけではありませんが、わたしには友達の鹿がいます。おなじみのほくちゃんをはじめ、ボノちゃん、一文字君、そうちゃんなど、何匹かの鹿は向こうから寄ってきます。それはいつも会うときに鹿せんべいをあげるので、わたしのことを覚えているからです。ほくちゃんは赤ちゃんのときから毎日のように会っているのでわたしの子どもみたいなものですが、羊飼いも毎日羊と暮らしているので、わたしと鹿さんたち以上にお互いをよく知っているということです。
羊はか弱い動物なので集団で行動します。そして羊飼いについていくことが自分の身を守るための最大の行動です。いわば命をあずけているということですね。羊飼いもその思いに応えて命を懸けて羊を守ります。これが羊と羊飼いの関係、そしてイエスとわたしたちの関係なのです。

  弟子たちやイエスに従っていた女性たちにとって、復活とは復活されたイエスとの出会いでした。そしてゆるしによる救いを体験しました。その体験から、彼・彼女らはイエスにどこまでもついていく決心をしたのです。イエスこそが永遠の命を与え、父のもとに群れを導いてくださる羊飼いであることを悟ったのでした。その信仰が現代にいたるまで教会に受け継がれているのです。

 (柳本神父)

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