12月7日 待降節第2主日 マタイ3章1~12節 荒れ野で叫ぶ者の声の主は
今日は洗礼者ヨハネが救い主の到来を告げ知らせます。ヨハネが現れるといよいよクリスマスが近いという雰囲気になってきましたね。もちろん時系列的にはヨハネが悔い改めの洗礼を授けていたのはイエスの誕生のずっと後ですが、救い主イエスが公に宣教を始める前なので、救い主を迎える準備をしていたということです。
ヨハネの言葉として「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言ったということですが、これは4章17節のイエスの宣教開始の言葉と全く同じです。ここにヨハネとイエスが同じ思いをもって悔い改めを伝えていたということが表わされています。
ヨハネは荒れ野で宣べ伝えたと記されています。このあと表されているようにイザヤ書の言葉が実現したということです。マタイの福音書はユダヤ人キリスト者(ユダヤ教徒でイエスを信じる人々)に向けて書かれたものということです。それで旧約聖書の言葉が引用されて、その預言がここに実現した、だからイエスはあなたがたが待ち望んでいたメシアなのだ、ということが強調されているのです。
しかし当時のユダヤの宗教の指導者は自分たちの立場や利益を守ることに専念する傾向があり、神殿はそのためのよりどころとなっていたようです。ヨハネはそのような聖地エルサレムを離れ、荒れ果てた土地で悔い改めを宣べ伝えました。そこで彼は質素な生活を続けながら教えを説いていたのです。それは現代の利益や地位、そして便利さを優先する文明社会に通じるかもしれません。また、荒れ野は人々から見捨てられた土地であり、社会から見捨てられた人々を象徴していると考えられます。荒れ野の叫び声はそのような人々の叫び声でもありました。このことはイエスがまず、貧しい人々に福音を宣べ伝えられたことと深いつながりがあるといえるでしょう。
先日、京都教区の司牧者集会で水俣フォーラム理事長の実川悠太(じつかわゆうた)さんのお話を聞きました。被害者の方々の苦しみを思うと心が痛みますが、一方、病気の原因となったチッソ工場から排出されたメチル水銀の含まれた廃水は、塩化ビニールや化学製品製造に必要なアセトアルデヒドを生む過程で排出されるものでした。それらの製品によって作られたもので日本人の暮らしは格段に便利になり、経済は飛躍的に発展しました。現在わたしたちが使っている液晶やソーラー発電の製造にも使われています。わたしたちが豊かな生活を享受することで環境を破壊する加害者の側にいるのです。
ヨハネは来るべき方が「手に箕をもって脱穀場をきれいに」される方であると述べました。「箕」は日本では竹を編んだもので、安来節で使う「ざる」のような形です。もみ殻付きの小麦や米を入れて振り、もみ殻を風で飛ばして脱穀するためのものです。ヨハネは神の裁きを告げていますが、救い主イエスは世界から、そしてわたしたち自身から神に反するものを取り去ってくださる方であることに信頼したいと思います。
(柳本神父)
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