1月25日 年間第3主日 マタイ4章12~23節 天の国は近づいた、わたしについてきなさい
先週の福音朗読はヨハネでしたが、A年の年間はマタイが読まれることになっています。今日はマタイの福音からイエスの宣教の始め、そして長い朗読の部分では、漁をしていたシモン・ペトロとアンデレを弟子にされます。
今日の福音の箇所でイエスは宣教を開始されます。マタイとマルコではほぼ同じ内容となっていて、マタイでは「天の国は近づいた」、マルコでは「神の国は近づいた」となっていますが、マタイの福音はユダヤ人に向けて書かれたものなので、「神の国」というとイスラエル王国のことと混同されるので、あえて「天の国」と表現されていると言われています。死後の世界のことではありません。一方、ルカはイエスがイザヤの預言を朗読し、「この言葉はあなたがたが耳にしたとき実現した」と宣言されますが、この言葉は「天の国は近づいた」に対応するものでしょう。そして、イザヤの預言の内容は、イエスの福音がどのような人々に告げられるものであるかを示しています。
イエスは最初の宣教を自分が育ったナザレと同じ地域のガリラヤで行いました。地元ではあまりに知られすぎていて受け入れられなかったので、湖畔の町カファルナウムに行かれたようです。滋賀県にたとえると、八日市では知り合いが多いので、湖畔の彦根に出て宣教し始めたというようなものでしょうか。イザヤの預言の「異邦人のガリラヤ」という箇所が引用されていますが、ガリラヤ地方はイスラエルが南北の王国に分裂したとき、北イスラエルの一部でサマリア人が住む地域でしたが、イエスの時代には南のユダヤ人の入植地でした。しかしエルサレムを中心とするユダの人々からすれば、サマリアよりさらに北で異教徒も多いガリラヤの人々は、田舎者・異邦人と見下されていました。そのようなところをイエスは宣教開始の地に選ばれたのでした。
そしてイエスは宣教活動にあたり、弟子を集められます。普通、弟子入りは「わたしを弟子にしてください」と師匠にお願いするものです。安青錦関もそうですね。しかしここではイエスのほうから声を掛けられます。すべての弟子がイエスから声をかけられたのか、それともイエスに願った人もいたかどうかはわかりませんが、「わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15章16節)というイエスの思いがここに表わされているのでしょう。
この文章を読んでくださっているあなたは、何らかの縁があってイエスのみことばに出会っておられるので、信者かそうでないかに関係なく、イエスの弟子であるといっていいでしょう。弟子たちも洗礼をうけて弟子になったのではありませんね。でもそこに至るまでにはさまざまな出会いやきっかけがあったことと思います。親の願いで幼児洗礼をうけた人もそうですし、たまたま教会をのぞいたらミサをしていた、ということもあるでしょう。まさに「わたし(イエス)があなたがたを選んだ」結果です。そして、その選びに従ったゆえに、今のわたしがあるのです。
(柳本神父)
PDFはこちら → 1月25日説教 年間第3主日