2月8日 年間第5主日 「よい方の塩を利かせ、光を輝かせるために」

2月8日 年間第5主日 マタイ5章13~16節 よい方の塩を利かせ、光を輝かせるために

 今日の福音は先週に続く箇所で、「地の塩・世の光」の教えです。いわゆる「山上の説教」の続きですが、これらの説教はイエスがまとめて話したというよりも、初代教会に伝えられてきたイエスの教えが集められたものと考えられています。とはいえ、宣教を始められたときのみことばとされているということは、弟子たちもこれらはとくに大切な教えだということを理解し、仲間に伝えていったものであるといえるでしょう。

 地と世は同じ意味で使われているようです。ともに現世の意味です。わたしたちのこの世の生活で塩、光はともに大切な存在です。塩は料理に欠かせないもので、味を調えるだけでなく、保存するためにも必要です。また、光がなければわたしたちは生活することが困難です。いずれもこの世の生活では大いに役に立つものです。
 イエスは弟子たちに向けて語られたということですが、多くの人々がイエスのみことばを聞くために集まっていました。その人々がなぜイエスのみことばを聞きたかったかというと、先週にも書いた通り、経済的にも宗教的にも見捨てられた「心の貧しい人々」であり、心の飢えを感じていたからでした。「世の光」というと、偉人伝の主人公のような、すばらしい行いをした人を思い起こします。大和郡山は「豊臣兄弟」でもちきりですが、大河ドラマなどでは歴史的に有名な人物の生涯が描かれます。しかし歴史の中の人物はほとんどが無名の庶民であり、貧しい人々です。そのような、見捨てられ、役に立たないと思われていた人々にイエスは「地の塩、世の光である」と宣言されました。「なりなさい」ではなく「である」ということは今、すでに塩であり光であるということです。
 先週の福音と考え合わせると、そのような貧しい人々、悲しむ人々、苦しむ人々こそがこの世の塩であり光であると言われているのかもしれません。それは、単なる慰めではなく、彼、彼女らこそがこの世の主役であるという宣言だといえるでしょう。イエスの福音はそこから始まっていったからです。さらに、そのような人々が塩を利かせ、光を輝かせるために、社会のあり方を変えていくことが求められます。そうして弱い立場の人々から神の国が広がっていくのです。

 イエスは「あなたがたの立派な行いを見て」と言われます。「やっぱり努力しないと塩や光になれないと言われてるやん」と言いたくなりますね。けれども、「立派な」はもともと「よい」という意味です。それは、「よい方」である神につながっていれば自然に現れる行いです。塩は食材があって役立つのであり、光も照らす対象があって役立つものです。まあ塩をなめて酒を飲む人もいますが…。
 わたしたちが塩を利かせ、光を輝かせるのは人との交わりにおいてです。その塩気や光は神から頂いたものです。それらを役立たせることによって、人々は神の愛を具体的に体験します。それがすべての人に及ぶのが神の国の福音なのです。

(柳本神父)

PDFはこちら → 2月8日説教 年間第5主日

PAGE TOP