今日、四旬第3主日を迎えて私が皆さんと一緒に黙想したい二番目の質問は、

「私は誰か(何者か)」です。今日の福音で私たちは神様の聖なる神殿が汚れるのを見たイエス様が怒る姿が見られます。そして、その神殿がどのような意味を持っているのか、何を意味しているのかを私たちに教えてくれます。

 

「私の父の家を商売の家としてはならない。」 (ヨハネ 2〮16)

  それでは、神殿はどんな場所ですか。

  神殿はイエス様がおっしゃったように神様の家です。神様の家は神様がいらっしゃる聖なる場所です。もちろん神様はどこにもいらっしゃいますが、特に私たちが祈るところにいらっしゃいます。私たちは祈るとき神様に会えるのです。このような意味で、神殿は祈りを捧げる場所なのです。私たちの祈りを通じて神様に会える場所が神殿です。

  神殿はまた、イエス·キリストです。イエス様はあなたご自身について「神殿」とおっしゃいます。神殿が祈りの場所で、またそこで神様に会うことができるなら、イエス様こそ真の意味での神殿なのです。私たちはイエス様を通じて父である神様に最も完全な祈りを捧げることができるからです。私たちはイエス様を通じて神様に完全に出会うことができるからです。

  最後に神殿はミサの中で聖体の秘跡を通じて毎日イエス様を迎える私たち自身です。使徒パウロは私たち自身を「聖霊が住まわれる神様の神殿」と言いました。

 「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」

(1コリント 2〮16-17)

  神殿が神様の家であり、イエス·キリストであり、私たち自身であれば浄化すべきことは何ですか?

結局、浄化の対象は、私たち自身なのです。

  愛する皆さん、「私は誰か(何者か)」という質問をじっくり黙想し、今の私たちの姿を振り返りましょう。もし私たち自身が、世の中のものだけで汚されてはないか、もしそうなら、神様のみ言葉、イエス様の受難、聖霊の導きで私たちを汚している世界のものを、きれいに片付けましょう。

 

神様の神殿である私たち自身の人生を清められるように神様に恵みを求めましょう。世の中のもので満たされて壊れてしまった神殿を、神様の意志と愛で充満に満たし、神様の家、イエス·キリストの御体、聖霊の住処を新しく建てることができるように祈りましょう。