敬老の日おめでとうございます。
今年は新型コロナウイルスの感染拡大のため、例年とは違う敬老の日となりました。いつものように教会に集まってミサの中でお祝いすることができません。現在のように不安が広がるときこそ、教会に集い、キリストの体をいただくことによって力づけてほしいと思う気持ちは大きいと思います。また、人とのかかわりが制限され、さびしい日々を過ごしておられる方も多いことでしょう。
しかし、その思いを受け止め、いちばん心を痛めておられるのはイエスご自身です。イエスは、人々が飼い主のいない羊のような有様であったのを見て深くあわれみ、教えを伝えられました。イエスのその思いはいまも続いています。
イエスは次のように言われました。

わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ10章27~28節)

「見失った羊のたとえ話」の中で、迷った羊は「どうして羊飼いについて行かなかったのだろう」と後悔していたことでしょう。しかし、羊飼いであるイエスは危険をかえりみず、一匹の迷える羊を探しに行かれます。遠くから聞こえてきた羊飼いの声に、羊は声を限りに答えたのです。
イエスは、羊が迷ったときにこそ羊飼いとしての本領を発揮されます。わたしたちも、ときどき羊飼いの姿を見失ってしまうかもしれません。そんなときに、イエスのほうからわたしたちのところに来てくださるのです。
司祭は毎日、だれもいない壁に向かってミサをささげています。その壁の向こうに信者のみなさんがいらっしゃることを思いながら聖体を奉献し、平和のあいさつを交わしています。
なかなかお会いすることはできませんが、同じ羊飼いに養われる者同士として霊的に結ばれていることを忘れず、毎日をお過ごしください。また、教皇様、司教様、そして奈良ブロックの教会のみなさんのためにどうぞお祈りください。
みなさまのお心とお体のご健勝を心からお祈り申し上げます。

2020年 敬老の日に
奈良ブロック 司牧チーム一同

keirounohi.jpg