シドニー・ニュジェント神父さまを偲んで

                               パウロ・グリン神父著

シドニー・ニュジェント神父さまは、1928年2月19日オーストラリア・ニューサウスウェールズ州ジューニーで生まれ、ハンターズヒルの聖ヨゼフ大学付属高校では優秀なラグビー選手としてよく知られ活躍なさいました。1945年に卒業した後8年間は、マリスト会司祭になるための勉強の日々をお過ごしになりました。1948年2月2日に一時的な清貧・貞操・従順の誓いを立て、1年間の修練生活を終えて、3年後には終生誓願をお立てになり、1953年7月25日司祭叙階なさいました。

その後数年間メルボルンのサンシャイン西小教区においては、1939~45年の悲惨なヨーロッパの戦争によって窮乏し気力を失くしてオーストラリアに移り住んで来た移民たちの中で、実り多い働きをなさったのです。

その後の55年間は、奈良県の3つの小教区で司牧にあたられました。奈良市内に素晴らしい小教区教会と司祭館を建設し、御所市葛の教会を改築して、広大な幼稚園を併設され、そこは現在でも幼児たちの教育を担い続けています。そしてついには、奈良市近郊に、日本においては最高の模範的施設と見なされた、特別養護老人ホーム サンタ・マリアを完成なさったのです。神父さまとボランティアの信徒たちは入居者に、祈りとご聖体の説明をし続けられました。そして、ニュジェント神父さまが施設長の時には、入居老人たちのほとんど全員が亡くなる前に洗礼を求めるという、幸せと喜びに満ちた場所となりました。神父さまは老人ホームでの音楽療法を初めて導入し、他の老人ホームの関係者たちが見学に訪れて、神父さまの方法を取り入れることにするのです。この療法導入前には、サンタ・マリアのスタッフを海外研修に送り出し、オーストラリアやスカンジナビアでの新しい方法を学ばせました。

健康を害されて引退を余儀なくされ、ハンターズヒルのモントベルにお帰りになる時には、サンタ・マリアの入居希望者リストには、何と500名余という信じられない程多くの応募者名が記載されていました。このことからも、老人介護の専門家が日本各地から来訪し、何故サンタ・マリアが高齢入居者にとって極めて良い施設なのかを調査したのかが分るでしょう。

特別養護老人ホーム サンタ・マリアは、高齢者の理想的老人ホームとして有名になり、この分野の専門家たちが、何故、他の施設と違って、サンタ・マリアの入居者やスタッフは明るく活き活きとしているのかを調査した結果、主たる理由は、ひとえにニュジェント神父さまの霊的に深く、いつくしみ溢れる指導・運営にありました。サンタ・マリアを立ち上げ、運営を始めてほどなく、神父さまは近在の小教区教会の信徒ボランティアたちによる、食事の宅配サービスもお始めになりました。

奈良でのマリスト会地区長を6年間務められ、その間、宣教担当長のムルドン神父さまと見定めた奈良市近郊平城に、新しいマリスト宣教会本部を建設し、同様に、奈良市鶴舞に建てたマリスト会経営保育所の、初めての責任者となられました。

特に、ニュジェント神父さまは神の人、祈りの人、そして多くの日本人に信仰を説いた宣教師で、祈り方や、未信者の家族や友人にどのように手を差し伸べたらよいかを教えた宣教師でした。聖母マリアへの献身は顕著で、小教区では、ロザリオや家庭内のロザリオの祈りを通してマリアさまを知り愛することを広め、マリア婦人会を指導なさいました。また、多くの日本人に洗礼をお授けになりました。受洗した方々はその恵みを他者に広め伝え、戦後の貧しい日本のために寄付を募ったのです。日本経済が豊かになった後には、犠牲者たち、例えばパキスタンから独立したバングラデシュのために基金を立ち上げたり、近年は、日本の2011年東日本大震災の犠牲者たちのために寄付を集めました。これらは、ニュジェント神父さまが率先して手を差し伸べられた犠牲者・被害者の、ほんの数例に過ぎません。

* 奈良の宣教から引退なさってからは、つつましく日本人信徒会に奉仕なさって、聖パトリック教会で赦しの秘跡を授けられ、そしてウールルームールーにあるホームレスの避難所に関わり、助けを必要とする人たちと仲良くなさいました。このことからも神父さまは、決して引退した司祭ではなくて、92年間の生涯を通して人々に耳を傾け、人々と共におられたのです。

 

特筆すべきは、主はニュジェント神父さまを、2020年8月8日オーストラリアの守護聖人

である聖メリー・マキロップの祝日に、ご自分の御許にお召しになったことです。

 

私たちの主イエスと聖母マリアの謙虚な僕であるシドニー・ニュジェント神父さま、

どうぞ安らかに憩われますように!

 

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注:① 写真は2019年、日本の

    信徒から贈られた装いで、

モントベルホームにて

 

② *の部分は、シドニー在住

  信徒杉本様の追加編集です

 

追記:この追悼文は、パウロ神父さまがオーストラリア在住の日本人信徒に向けてお書きになった文章を日本語に訳したものです。(訳者:登美が丘教会 役員 平井様)