10月31日 年間第31主日 マルコ12章28b~34節  神を愛すること、隣人を愛すること

今日の福音はエルサレムの神殿における出来事です。先週のバルティマイのいやしのあと、イエスと弟子たちはエルサレムに入城し、神殿で商人を追い出されます。
 ユダヤの宗教的指導者である祭司長、律法学者、長老たちは、もともと自分たちを非難するイエスに敵意を持っていましたが、エルサレムに入城し、神殿の証人を追い出したことでその敵意はますます強くなりました。それで彼らはイエスに論争を持ち掛けます。その結びともいえる部分です。

 一人の律法学者が「もっとも重要な掟」について尋ねます。イエスの答えは最も重要な第一の掟は「神を愛する」ことであり、第二の掟は「隣人を自分のように愛する」ことでした。律法学者にとって、掟はすべて重要であり、守るべきものでしたが、彼はイエスの教えに全面的に賛同します。そしてそれは「どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れている」と付け加えています。
 献げ物やいけにえは、律法に細かく規定されており、旧約時代の神殿祭祀の中心を占めるものでした。しかし、新約時代にはイエスの十字架によっていけにえは完了し、律法の細かい規定はイエスの愛の教えに集約されます。つまり、この律法学者の答えは、新約の時代の始まりを預言するものであるといえるでしょう。イエスがエルサレムに入られたあとにこのやり取りが行われていることは、受難と復活が近いことを表しているのです。
 イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい」と言われます。「神を愛する」にはどうしたらいいでしょうか。旧約時代にはいけにえを献げることが神への愛のしるしでした。しかし、もっとも大切なことは、神が愛されている人を愛するということです。
わたしたちも、自分の大切な人が大切にされていると嬉しく思います。いじめられたり、悪口を言われたりしていると悲しくなります。同じように、わたしたちを愛しておられる神も、互いに愛し合うことを望まれます。真に見えない神を愛する最良の方法は、目に見える隣人を愛することなのです。

「隣人を自分のように愛する」という掟はレビ記19章18節に出てきます。その前には同胞に対する愛、33~34節には寄留者に対する愛が述べられています。現在、多くの外国人が日本社会に寄留しています。コロナ禍によって困窮している人も多くいます。とくに、非正規滞在の人や難民申請中の人は厳しい状況にあります。ワクチンを受けられない、コロナの疑いがあっても検査が受けられない、入院できない、高額の医療費を請求される、などの扱いを受けている人もいます。
寄留者であっても、非正規滞在者であってもいのちの重さは同じです。日本社会の中で苦しみの叫びをあげている隣人の声にも心を留める必要があります。   (柳本神父)