1月16日 年間第2主日 ヨハネ2章1~11節  この人の言うとおりにしてください

今日は年間第二主日です。「あれ?第一主日はどこへ行ったの?」と思う方もいらっしゃるでしょうが、先週の主の洗礼の主日が第一主日にあたります。今年は主日の聖書朗読箇所はC年でルカの福音が読まれますが、年間第二主日はヨハネの福音の2章からカナの婚姻の箇所が朗読されます。
今日の箇所はイエスが弟子を招いた直後のことです。したがって公生活に入ったあとのことですが、イエスの母も登場するのでプライベートな出来事のようにも思えます。しかし母はたまたま居合わせたようです。それでイエスは母の願いに応えて水をぶどう酒に変える奇跡を行われるのですが、これはイエスが神の力を発揮したというよりも、イエスとマリア、そしてわたしたちとのかかわりを表す出来事として考えたほうがいいでしょう。

旧約聖書ではしばしば「結婚」は神と人間の幸せな関係のたとえとして用いられます。さらに、「婚宴」「宴会」はイエスのたとえにもあるように「神の国」「救い」の象徴です。その大切な婚宴でぶどう酒がなくなりそうになります。これは幸せな二人の結婚に水を差すことになります。それでイエスは水をぶどう酒に変えることによって結婚式の危機を防がれるのですが、このことは、イエスが神と人類の幸せな結婚=救いを妨げる「罪」を取り除いてくださる方であることを表しているということができるのではないでしょうか。そして、イエスはわたしたちの結婚を祝福してくださる方でもあります。
さらに、ぶどう酒の味見をした世話役が花婿に言った「良いぶどう酒を今まで取っておかれました」という言葉も救い主の到来を表しているとみることもできるでしょう。

ヨハネの福音には母マリアは二か所に登場します。この箇所とイエスが十字架につけられた場面です。いずれも「マリア」の名前は記されず「母」とだけ書かれています。そしてどちらの箇所でもイエスは「婦人よ」と他人行儀で呼ばれるのです。イエスが出家して親子の縁を切ったからそう呼んでいるようにも思えますね。しかし、ここには母マリアとわたしたちの関係を見ることができます。
母は結婚する二人のためにイエスに助けを求めます。ここにイエスに取り次ぐ姿があります。そして「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」というのはわたしたちに向けられた言葉でもあります。マリアはそのように、わたしたちが願う前からわたしたちのために取り次いでくださる方であり、イエスの言葉を取り次いでくださる方でもあります。イエスが自分の母のことを「婦人よ」と呼んだのは、わたしたちすべての者の母として与えてくださったからではないでしょうか。そのことは十字架上からヨハネを代表として「あなたの母です」と言われたことにはっきりと表れています。
変異株の影響により、新型コロナの感染拡大の不安が広がる中でも、わたしたちの母マリアはすでに祈り、取り次いでくださっているのです。         (柳本神父)