12月20日・待降節第四主日 ルカ1章26~38節 おめでとうマリア、おめでとうわたしたち

いよいよクリスマスが直前に近づいてきました。今日はみなさんもよくご存じの受胎告知の場面です。幼稚園や教会の聖劇でも必ず演じられる大切なシーンですね。マリアが聖霊によって神の子を身ごもったことが告げられる、救いの歴史でも非常に重要な出来事だといえるでしょう。「アヴェ・マリアの祈り」「天使祝詞」として、日常の祈りの言葉としても親しまれています。

東京のハリストス正教会の大聖堂であるニコライ堂の内部正面には、王冠を被ったイエスを中央に、左にマリア、右に洗礼者ヨハネがイエスのほうを向いて立っている三つのイコンが描かれています。洗礼者ヨハネは最後の預言者として旧約を代表し、マリアは神の母となったことによって新約を代表し、そして王冠をいただくイエスは王であるキリストとして神の国の完成を表しています。つまり、救いの歴史を表しているのです。
新約の時代は神の子であるイエスがこの世に来られ、救いを実現することによって、人類とともにいてくださる時代です。マリアは神から与えられた使命を果たすことによって、神がともにいてくださることを、身をもって表しました。そのことによって、マリアは新約の時代を象徴する存在となられたのです。

大天使ガブリエルは、マリアに「おめでとう、恵まれた方」と呼びかけます。神の母となられるのですから、めでたいことには違いないのですが、ひとりの人間としては苦難の生涯の始まりだったと言えるでしょう。それはまず、未婚の母であるという辱めを受けることであり、最後には死刑囚の母としてわが子の処刑に立ち会うという苦しみを受けることでした。
マタイの福音書では、ヨセフに対してマリアが聖霊によって身ごもったことが告げられています。おそらくそのことはマリアとヨセフしか知らないことだったでしょうし、たとえ周りの人に言ったとしても信じてもらえなかったでしょう。ヨセフが一緒に暮らす前に気づいたのですから、周りの人々も気づいていたかもしれません。ですから、マリアにとって神の計画を受け入れ、ヨセフとともに家庭を持つことは勇気のいることであったと考えられます。しかし、マリアは世間体よりも神に従うことを選んだのです。

わたしたちも、神に従う道を選ぶことは、ときに苦難を伴います。また、現在のように感染が広がる中で、日常生活が制限され、さまざまな情報が飛び交う状況にあっては、どのように生きればいいのかを見失いそうになります。しかし、「神はあなたとともにおられる」という天使の言葉は、マリアを通してわたしたちにも告げられています。
わたしたちも、マリアのように神に信頼し、「お言葉どおり成りますように」と神のみ旨を受け入れるとき、わたしたちも「恵まれた」者と呼ばれるのです。    (柳本神父)