5 月 3 日・復活節第4主日 ヨハネ10章1~10節 わたしはもう来ているよ
今月の復活節第4主日から第6主日まで、ヨハネの福音が読まれます。いずれもイエス
とわたしたちの関係が述べられます。復活の恵みが主の昇天・聖霊降臨へ向かって明らか
にされていく過程であるといえるでしょう。
今日の福音では、イエスはご自分とわたしたちの関係を羊飼いと羊にたとえられます。
「羊はその(羊飼いの)声を知っているので、ついて行く」とあります。これはこのあと
の14節に出てくる「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」という
ことばにつながります。知る、というのは単に「羊という動物を知っている」という意味
ではなく、「一匹一匹の羊をよく知っている」という意味です。
たとえば、私が学校の教室を訪ねたとき、「何年何組の生徒」だということは知っていて
も、ひとりひとりの名前や性格は知りません。けれども学校の担任の先生は、生徒をよく
知っています。「この子は理解が遅いけれど学んだことは忘れない」とか「この子は勉強は
苦手だけど友達にはやさしい」とか、よい先生はひとりひとりのことをよく知り考えて指
導します。イエスが「よい羊飼い」であるとはそういうことなのです。
羊はみんな同じような姿をしていますが、よい羊飼いは見分けがつくそうです。羊飼い
は昼も夜も羊とともに生活をしていますし、羊を自分のように大切にしています。だから、
一匹の羊が迷ったときもすぐに気づいたわけです。
そして、羊も羊飼いを知っています。羊が夜休むために、各地に囲いが作られていたそ
うです。夜になるとたくさんの羊飼いが自分の羊を連れてやってきます。羊の群れはごっ
ちゃになって休みます。そして朝に出かけるときに羊飼いが声を出して呼ぶと、羊は間違
えずに自分の飼い主の声を聞き分けてついていきます。羊飼いは羊をよい牧草地に先頭に
立って連れて行くのです。
そのように、羊飼いであるイエスは羊であるわたしたちのことをいつも考え、命をかけ
て守ってくださいます。わたしたちも羊飼いであるイエスについていけば間違いないこと
を知っているのですが、ときどき迷ってしまうかもしれません。そんなときも、いえ、そ
んなときこそ羊飼いイエスが本領発揮されます。命を顧みずに探しに来てくださるのです。
今のわたしたちは先の見えない恐れと不安の中に過ごしています。迷ってしまった羊の
気持ちです。だんだん暗くなってきて遠くで狼の遠吠えが聞こえてくる。まわりには誰も
いない。そこへ遠くから呼ぶ声が聞こえてくる。間違いなく自分の羊飼いの声だ!羊はあ
りったけの声を出して羊飼いを呼ぶでしょう。その喜びは計り知れないものです。
わたしの羊飼いイエスもわたしのところへ来てくださいます。わたしも声を張り上げて
呼びましょう。「大丈夫、わたしはもう来ているよ。」 (柳本神父)