6月13日 年間第11主日 マルコ4章26~34節  コロナの今も神の国の種は成長している

 

聖霊降臨のあと、教会の典礼暦はふたたび年間に入ります。主日としては三位一体とキリストの聖体を記念するので、今日から年間主日となります。

聖霊降臨は弟子たちの宣教の始まりとなった出来事ですから、二回目の年間は教会の宣教を記念する期間です。福音朗読ではイエスの教えから宣教について学びます。

今日の福音では、イエスは神の国について教えられます。ここでイエスは、神の国について二つのたとえで説明されます。いずれも植物の成長がテーマとなっています。

第一のたとえに出てくる植物名は明記されていませんが、おそらく麦のような穀物だと思われます。ここでのポイントは「知らないうちに成長する」ということです。第二のたとえはからしの木です。こちらのたとえのポイントは「小さい種がすごく大きくなる」ということです。この二つのたとえを合わせると、イエスが言いたかったことは「神の国はごく小さなものが知らないうちに大きくなる」ということになります。

 

フランシスコ会の本田神父さんが、「宣教は種まきではなく刈り入れだ」とおっしゃっていました。大阪の釜ヶ崎に住むことになった神父さんは、釜ヶ崎のおっちゃんたちにどのようにイエスの教えを伝えようかと思っていたら、逆に教えてもらうことがいっぱいあったというのです。そこで、「神さまは教会の外の世界にたくさん神の国の種をまいてくださっている。わたしたちがするべき宣教は、育って大きくなった穂を刈り入れることだ」と学ばせてもらったということでした。 

そのように、神ご自身がまいてくださる神の国の種は成長し、わたしたちが知らない間に大きくなって刈り入れを待っているのです。イエスが言われる「収穫」とは豊かに実った実を集めてみんなに食べてもらうために分配することではないでしょうか。わたしたちの使命は、神の国の実をすべての人が喜んでいただくことができるように神さまのお手伝いをすることであり、そこから神の国に向かって一歩を進めることだといえるでしょう。

けれども、その一歩がなかなか進まないように感じられるときがあります。わたしたちの小さな力はほんとうに神の国の役に立っているのでしょうか。

 

そう思うとき、第二のたとえが教えてくれます。からし種は目に見えないくらい小さな種です。それが何万倍にも大きくなって鳥が巣を作るほどになるのです。

わたしたちの力はからし種のように小さくても、大きな神の国に成長させてくださるのです。そんな種があちこちにまかれていて、あるときに一斉に大きくなって神の国がいきなり実現するかもしれないのです。

そして今日の福音は、コロナ下にあるわたしたちを励ますみことばでもあります。「コロナで時が止まっているのではない、気づかないかもしれないけれど、今もわたしは神の国の種をまいて成長させているのだ」とイエスは告げておられるのです。 (柳本神父)