6月5日 聖霊降臨 ヨハネ14章15~16、23b~26節 イエスと一致するためのプロセス

今日は聖霊降臨の祭日です。聖霊が弟子たちに降ったのは五旬祭の日とされています。それで復活祭から五十日目の今日、聖霊降臨をお祝いします。しかし、そのときの出来事は福音には記されていません。その様子は第一朗読の使徒言行録で知ることができます。そして今日の福音朗読は聖霊降臨の予告の箇所です。先々週の復活節第六主日と内容がかなり重なっているので、第一朗読と併せて味わいましょう。

使徒言行録の記述から、聖霊降臨のことを「ペンテコステ」と呼ぶこともあります。これは50番目(の日)を意味するギリシア語です。教会では、復活―昇天―聖霊降臨という順番でお祝いしますが、聖霊降臨は五旬祭のときだけの出来事なのでしょうか。
ヨハネの福音書では、復活したイエスが弟子たちのもとに現れたとき、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と告げられます(ヨハネ20章22節)。このことは、イエスの復活と聖霊降臨が強く結びついていることを示しています。また、先週の昇天の祭日のルカの福音でも、イエスの昇天後に弟子たちは「大喜びでエルサレムに帰り」と記されていました。この喜びは聖霊降臨へと続いているといえます。つまり、受難と復活・昇天・聖霊降臨は別々の出来事ではなく、つながっているということです。
私が神学生のとき、故ペトロ・ネメシェギ神父の授業で「聖霊についてレポートを書きなさい」という課題がありました。困った私は、漢和辞典の「霊」という字の意味を調べて、聖霊の「霊」の意味についてまとめました。「霊」というと、幽霊や亡霊といった、死者の魂や、背後霊や霊のたたりというようなおどろおどろしいイメージがあります。調べてみるとたしかに死者の魂の意味もあるのですが、もっと崇高な意味もあります。たとえば、「神の大きな力」という意味や、「目に見えない計り知れない力」などという意味があります。また、「肉体に宿って支配するもの」という意味もあります。これらの意味は、聖霊の働きをよく表しています。それで、わたしは「聖霊」という訳語はふさわしいということを結論としました。神父様はたいへんこのレポートを気に入ってくださったようで、何年も後にネメシェギ神父様の講座を受講された方から「柳本神父の『霊』のレポートの話をされていましたよ」と聞いたときはうれしかったです。

聖霊のたまものはいろいろありますが、五旬祭の出来事からもわかるように、弟子たち(わたしたち)のうちに降られたということは大切です。まさに「肉体に宿って支配する」方です。「支配」というとイメージはよくないですが、わたしたちの内に宿り、働いてくださるということです。神との一致の神秘であるといえるでしょう。
そのように、受難・復活・昇天・聖霊降臨の一連の出来事は、イエスがわたしたちと一致するプロセスであるということです。そして、その一致の喜びはすべての人に向けて開かれています。ですから、聖霊降臨は福音宣教の出発点なのです。    (柳本神父)