4月16日・17日 復活の主日 ルカ24章1~12節、ヨハネ20章1~9節 主は生きておられる

みなさん、主の復活おめでとうございます。
16日の夜は復活徹夜祭、17日は復活の主日です。徹夜祭で読まれる福音は異なっていて、今年はC年なので16日夜はルカの福音、17日は毎年共通のヨハネの福音が朗読されます。今回はその両方を参照しながら主の復活について考えてみましょう。

二つの福音に共通するのは、女性(たち)が墓に遺体がないのに気づき、弟子たちに知らせることと、ペトロが墓に行ってはそれを確認することです。ルカではそらせた女性はマグダラのマリアを含めて複数であり、見に行った弟子はペトロだけだったこと、ヨハネでは女性はマグダラのマリアだけで、見に行ったのはペトロともう一人の弟子(ヨハネ)の二人だったことが違っています。さらにルカでは天使と思われる二人がマグダラのマリアに復活を告げています。
いずれにしても復活したはずのイエス本人は登場しません。主人公の出てこない復活祭!イエスが復活された翌朝の出来事とはいえ、朗読箇所としてふさわしくないように思いませんか?一年で一番大きなお祝いなので、ほんとうだったら福音も、登場人物が「復活されたイエスさまだ!バンザイ!」と言っているような朗読箇所がほしいところですね。
しかしこのような朗読箇所こそ今日にふさわしいところなのです。というのは、女性たちや弟子たちはまだ知りませんが、イエスはすでに復活されています。また、弟子たちはイエスの復活を信じられません。では、どうして復活を信じるようになったかというと、その後、復活されたイエスと出会うことによってです。つまり、弟子たちや女性たちにとって、イエスの復活の出来事はいきなり訪れたのではなく、さまざまな出会いを通してじわじわと体験していったということです。
これはわたしたちにとっても同じなのではないでしょうか。わたしたちも、いきなりイエスと出会ってすべてを理解するという信仰を体験するわけではありません。人それぞれですが、いろいろな体験を通してイエスと出会い、信仰を深めていきます。弟子たちや女性たちがそうだったように。わたしもこうして福音の分かち合いをさせていただいていますが、同じ福音の箇所でも感じ方が違っていることに気づきます。この年になってもいろいろな出会いや体験を通して信仰のあり方が変わってくるわけですね。ですから、主の復活とその後の出来事はわたしたちの信仰体験と重ね合わせることができるのです。

まことに主は復活され、今も生きておられます。けれども今に至るまで、多くの人はまだそのことに気づいていません。わたしたちも復活の主がおられることを忘れているかもしれません。しかし復活は過去のことではなく、今も続いているのです。
わたしたちが復活の主との出会いを新たにし、その喜びをまわりの人に分かち合うこと、これが復活をお祝いするということではないでしょうか。        (柳本神父)