8月14日 年間第20主日 ルカ12章49~53節 分裂を乗り越え神の国へ

今日の福音は先週から少し間を置いた箇所ですが、かなり厳しい内容となっています。ちょっとイエスの言葉にしては極端なような気もします。律法には「父は母を敬え」という掟があるのに、イエスはなぜこのようなことを言われたのでしょうか。

イエスが「わたしには受けねばならない洗礼がある」と言われているのはもちろん十字架の受難です。この箇所がエルサレムに向かう途上の内容であることからも当然です。しかしイエスはそれに続いて「地上に平和ではなく分裂を」もたらすために来たと言われるのです。イエスは「平和の主」であるはずなのになぜ分裂をもたらすと言われたのでしょうか。ここで思い出すのは年間第13主日の「家族へのいとまごい」と「父親の葬送」を許されないイエスの態度です。受難に向かうという緊急事態であるのに加えて、そのようなときに「イエスを選ぶ気持ちがあるかどうか」を問われたのです。
今日の福音も、信仰や愛をめぐって家族や友人と対立することが想定されているのでしょう。あるシスターは、修道院に入るとき父親と激しく対立し、「絶対家に入れない!」と勘当状態だったそうです。でも時間がたつうちに「修道服を着てきたら入れない」に変わり、やがては認めてもらえたということです。
わたしも差別的な発言や神の国の価値観に反する考え方と遭遇することがあり9ますが、なかなか反論できないこともあります。イエスの教えに従うのはたしかに分裂(心の中も含めて)をもたらすことがあるのだなあと思います。
そして大切なことは、イエスのまなざしは常に苦しみを負っている人に向けられているということです。たしかに家族仲良く暮らすことは幸せでしょう。しかし、現実はそうとは限りません。親のいない子ども、育児放棄、夫婦仲がよくない家庭、嫁姑で争いが絶えない家庭もあります。現代では老々介護やヤングケアラーの問題もクローズアップされています。このような人たちは家族の分裂の苦しみや家庭生活における苦労を負っています。
イエスが最初に神の国の福音を告げられたとき、多くの人々が集まってきました。その人たちの多くは、経済的、身分的、身体的、家庭的に恵まれていない人々でした。その人々に向かってイエスは「あなたがたは幸い」と呼びかけられたのです。イエスはそのような人々の苦しみに気づかない、あるいは見てみぬふりをしている人々の心に、火を投ずるために来たと言われたのではないでしょうか。

その意味ではイエスの言われる分裂とは、この世の価値観と神の国との分裂であるといえるかもしれません。それらは相いれないものです。しかし、イエスが投じられる「火」は聖霊です。聖霊は物事の意味を明らかにするだけでなく、世界を一致に導きます。わたしたちは聖霊の火に照らされることで、何が神の国の価値観に適うかを見極める必要があります。神は分裂と葛藤を乗り越えて神の国を実現してくださるのです。 (柳本神父)