8月15日 聖母の被昇天 ルカ1章39~56節  被昇天は神の国への希望

今日は聖母の被昇天の祭日です。本来ならば年間第20主日として、ヨハネの福音書が朗読されるところですが、今年はちょうど8月15日にあたるので、聖母の被昇天がお祝いされます。
聖母の被昇天の出来事は聖書に記されていません。しかし、教会では伝統的に聖母マリアが肉体とともに天に上げられたという伝承を大切にしてきました。そして、1950年11月1日に、教皇ピオ12世が聖母被昇天の教義を全世界に向かって公布されました。

今日の福音朗読では、マリアのエリザベトを訪問の箇所が選ばれています。とくに、エリザベトのあいさつと、それに応えてマリアが語った「マリアの賛歌」が中心となっています。これらの内容は被昇天の出来事と直接関係がないように思われますが、実は非常に深い関係があります。
マリアの賛歌の後半(51~56節)は、神が行われる社会正義について語られています。思い上がる者、権力ある者、富める者が退けられ、身分の低い者、飢えた人が満たされるという内容です。これは、イエスが山上で語られた「幸いと不幸」の教えと通じるものですが、イエスの宣教のあり方そのものを表していると言えるでしょう。
イエスは貧しい人、病気の人、体の不自由な人、罪人を前に福音を告げられました。「あなたがたは地の塩、世の光である」という言葉は、そのような人々が神の国の中心となるべき人々である、という宣言でした。そして、そのような人々を排除し、見下している人々や、この世の富や権力を求めている人々に対しては、厳しく接して回心を求められました。その結果、イエスは十字架につけられることになったのですが、復活と聖霊降臨によってその使命は使徒たち、そして教会に受け継がれました。つまり、マリアが語った社会正義は、イエスの告げられた神の国の実現の預言であるということができるのです。

聖母の被昇天は肉体をもって天に上げられたという出来事でした。このことは、信仰宣言にも挙げられている「からだの復活」を思い起こさせます。
世の終わりに神の国が完成するとき、わたしたちは肉体をもって復活するとされています。なかなか理解しがたい教義ですが、肉体はこの世を生きるのに必要なものです。つまり、この世の命を象徴するものだといえるでしょう。神の国の完成は、この世が神の望まれる世界として完成する出来事ですから、この世を生きたわたしたちの人生も贖われて神の国の一部として受け入れられるということです。
聖母マリアは罪から解放された存在として祝福された方ですから、わたしたちに先立って肉体をもって復活されました。被昇天はそのことを表しています。聖母の被昇天の姿は来るべきわたしたちの姿であり、神の国が必ず実現するという希望を与えてくれます。その意味でも今日の福音は被昇天にふさわしい箇所なのです。       (柳本神父)