8月2日・年間第18主日 マタイ14章13~21節  パンはいつ増えたのか?

今日の福音は、イエスが5千人に食べ物を与えたことが述べられています。この話は4つの福音書全部に記されていて、内容もほぼ同じです。いずれの福音書でも聖体の秘跡につながる重要な出来事として伝えられてきたものと思われます。
マタイの福音では、先週の福音も含め、13章で天の国(神の国)についてのたとえ話が語られてきました。14章では、洗礼者ヨハネの殉教の出来事のあとに今日の箇所が記されていることから、この出来事も神の国とのかかわりにおいて考えることが必要です。

今日の福音を読んで単純に考えることは、「パンはいつ増えたのか?」という疑問です(魚もありますがここではパンで考えます)。イエスが祈ったときか、パンを裂いたときか、弟子に渡したときか、弟子が配ったときか、人々が食べたときか。これについてはっきりした答えは書いてありません。あえて言うなら、これらの出来事すべてを通してパンが増えたということではないでしょうか。
弟子たちは、パンは五つしかないことを知っていましたが、人々は自分もまわりの人も食べて満腹したわけですから、パンはたくさんあったと思っているはずです。
大事なことは、「パンが増えた」ことよりも、「すべての人が満腹した」ということです。ここで13章の「天の国のたとえ」を思い出してみましょう。とくに7月12日の福音で、蒔かれた種の「あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった」というところは今日の福音と似ていますね。この二つを比べてみると、共通するのは最初にイエス(神)が用意されたものが、人の手を通して増えていく、というところです。
わたしはその日の福音について、「実を実らせるのは食べてもらってみんなを喜ばせるためである」と書きました。今日の福音でも、増えたパンは集まったすべての人々を満腹にし、喜ばせました。その意味で、今日の福音の内容も、「天の国=神の国」を象徴する出来事であると言えるでしょう。
イエスがパンを増やされたのは、それを待っていた人々がいたからです。さらに、残ったパンが十二の籠にいっぱいになったということは、食べて満腹した人々が、さらに待っている人々に配る番だ、ということです。こうして神の国のパンは限りなく増えていくのです。

今日の福音は聖体の秘跡を象徴する内容ですが、「ウイズコロナ」の今、残念ながら以前のように聖体をいただくことが困難な状況です。けれども、パンを食べて満腹した人々のように、わたしたちはイエスが伝えた神の国の喜びを心いっぱいにいただいています。その喜びを待っている人々がわたしたちの身近にも大勢いるはずです。
さあ、十二の籠はわたしの目の前に用意されています。わたしならだれに配るでしょうか。                                 (柳本神父)