8月28日 年間第22主日 ルカ14章1,7~14節 神の国の宴会の主役は

先週の福音のあと、イエスはエルサレムのために嘆く箇所があります。イエスはエルサレムへ向かわれている途中なので、エルサレムの指導者たちから受けるご自分の運命を暗示されているようです。そして、安息日に水腫の人をいやされる奇跡に続いて今日の福音の箇所になります。権力を求める当時の人々に対する戒めですが、現代のわたしたちには何を伝えようとされているのでしょうか。

上席を選ぶという話はわたしたちにはピンとこないかもしれません。日本人は下座を選ぶのが美徳とされているからです。むしろ、先を争って下座を選ぶ光景のほうがよく見られますね。しかし、建前はそうでも本音はどうでしょうか。先着何名様にプレゼント!などというときには先を争って行列に並びます。大臣のポストを手に入れるのにあれこれ裏工作したり有力派閥に属したりする人もいます。
日本人は食事の席では上座でも下座でもメニューに違いがないのであまりこだわらないのかもしれません。しかし、イエスの時代、上席に着けるかどうかはその人の価値を表すものなのでユダヤ人たちにとっては重要なことだったようです。
ちなみに上席にはデメリットがあるのをご存知ですか?食事会では当然上席から食事が運ばれます。そして下座が最後になります。そして多くの場合、食事が揃ってからお祈りをしたり乾杯をしたりしてから食べ始めるので、上席の人は冷めた料理を食べなければならないということになります。それでユダヤの人たちは下座の人にあたたかい料理を食べてもらうために上席を選んだ…ということではないと思いますが。
「へりくだる」のも日本人の得意とするところです。一生懸命選んだものを「つまらないものですが」と渡したり、自信があるのに「わたしのような者には無理です」と言ったりします。しかし、イエスの言われる「へりくだり」は自分を低く見せるという見せかけのものではなく、ご自身の生き方そのものでした。イエスは貧しい人々や苦しみを受けている人々の友となり、最後にはすべての人々の罪のゆるしのためにいのちをささげられました。それは自ら貧しい者となり、神の国のために奉仕する生き方でした。

イエスは神の国をしばしば宴会にたとえられます。今日の最後の部分も神の国の宴会を表しています。「お返し」のことが出てくるので、それを期待しないで無償の施しを行うことを教えられているように思えますが、むしろ、神の国の宴会の主役がどのような人々であるかということがテーマであるといえるでしょう。
それは、今日の箇所に続く「大宴会のたとえ」でもわかります。これは、神の国の宴会に招待された人々が理由をつけて来なかったので、貧しい人や体の不自由な人が招かれるという話です。ユダヤの上流階級の人々に対する戒めですが、現代のわたしたちにも神の国のあり方を伝え、そこに来るようにと教えられているのです。     (柳本神父)