ホン神父さま黙想のプリント3枚目を公開しました

今日、四旬第5主日を迎えて私が皆さんと一緒に黙想したい最後の質問は、
「私は何をしているのか(何を選択しているのか)」です。

「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。」 
(ヨハネ 12?23-25)


イエス?キリストに従うということは、私たちの人生の中で毎瞬間死の時を迎えることができるということです。今日のイエス様のみ言葉のように、自分を犠牲して他人に渡す時、それは多くの生命を生かす道になります。まるで 春にまかれた種が芽を出して一つの花として育つようなものだと言えます。

イエス様の道は死の道でした。そしてイエス様ご自身が一粒の麦になられました。ただ御父の栄光のために、世の中と結ぶ新しい契約のために、ご自分を十字架に任せたのです。このような一粒の麦のようなイエス様の人生は、すべての人類に永遠な命と救いを与えてくださいました。

聖書を見れば分かるようにイエス様も死を恐れました。しかし、イエス様は決して死を避けず、父である神様の意志に従って十字架の道を歩きました。したがって、私たちもイエス様に従うためなら、自分が大事だと思うものは何であれ、それが命でも残さず差し出さなければならず、自分を殺さなければなりません。

そうすれば、私たちもイエス様のように復活の栄光を受けることができます。そのために、私たちは一粒の麦が死んで多くの実を結ぶ死と犠牲の神秘を私たちの生活の中で実践しなければなりません。

このように、私たちが生きていかなければならない人生は、イエス様の道、自分を殺す一粒の麦の人生を生きて行くことです。だから、私たちは神様の栄光のために死ぬ人生、私の家庭のために死ぬ人生、また私の隣人と共同体のために私自身の自尊心と欲、そして利己心を殺す人生、それで神様に完全に葬られる人生を生きなければなりません。なぜなら、この死を通じて新しい契約を証明し、真の愛を私の心と私の人生の場で花咲かせることができ、これを通じて真の幸せを体験できるからです。

だから、あまり残っていない四旬節の間、最後の質問である「私は何をしているのか(何を選択しているのか)」を深く黙想し、今、私は自分自身を殺す人生を生きているのか、 それとも私のために他人を殺す人生を生きているのかを考えてください。ただ、この四旬節だけでなく、毎日の信仰生活の中で、隣人のために自分自身を殺す犠牲と奉仕で、イエス様の復活の神秘に共に参加する皆さんになってほしいと思います。皆さんを通じて神様の栄光がこの世に現われ、イエス様の死と復活によって完成された救援の実がこの世に満ちることを心からお祈りします。