7月25日 年間第17主日 ヨハネ6章1~15節  何の役にも立たないどころか!

今年(B年)の主日の福音朗読は、マルコから選ばれていますが、ヨハネの6章は毎年読まれることになっています。今日から5週間はヨハネの6章を朗読します。ヨハネ6章は「イエスが命のパンである」という内容ですが、今日はその導入部分ともいえるパンを増やす奇跡の場面です。
この箇所の内容は、四つの福音書に記されていて、聖体の秘跡を象徴するものといわれています。とくにヨハネではこれが「過越祭が近づいていた」ときの出来事とされているので、主の過越の食事との関係が強調されているようです。

この奇跡からわたしたちが学ぶところはいろいろありますが、今回はパンと魚を差し出した少年に注目したいと思います。
イエスはまずフィリポに、「どこでパンを買えばよいだろうか」と言われますが、フィリポが答えた通り、五千人以上の人々に少しずつでも食べてもらうためには相当なパンが必要ですし、そんなパンを売っている店はありません。まして、そこは山の上でした。
そしたら、一人の少年がパン五つと魚二匹を差し出したのです。「パンならあります。よかったらこれをみんなにあげてください」とでも言ったのでしょうか。当然足りるわけがありません。アンデレでなくても、「何の役にも立たないでしょう」と言いたくなりますね。
このアンデレの言葉には「子どもの言うことだから」と小ばかにしているようなニュアンスが感じられますね(違っていたらごめんなさい、アンデレさん!)。彼が「役に立たない」と言ったのはパンと魚だけでなく、少年に向かって言っているようにも思われます。
けれども、イエスはそのパンを受け取られ、集まっていた人々を満腹させられました。そして残ったパンは十二の籠いっぱいになり、さらに多くの人を満たしたことでしょう。少年がパンを差し出したおかげで、イエスは奇跡を行うことができたのです。「役に立たない」どころか、大いに役に立ったのです(その少年を追い返さずにイエスに紹介したのはアンデレの功績ですね!)。
 
 わたしたちの社会では、人の値打ちを「役に立つ」「役に立たない」で判断しがちです。けれども、この出来事が示すように、「役に立たない」と思われていた少年をイエスは大いに役立たせてくださいました。ここに神の国の価値観があります。
 神の国においては、何もできない、役に立たないと思われている人が中心にいます。イエスが貧しい人々に福音を告げ、病気の人、体の不自由な人をいやし、子どもを真ん中に立たせたのもそのような神の国のあり方を示すためでした。イエスご自身も、王になると期待されていたのに、役に立たない者として処刑されたのでした。
 わたしたちも知らないところでちゃんと神の国の役に立っているのです。(柳本神父)